私が他の人たちと違うと、くっきりはっきり悟ったのは去年、二年生の秋、修学旅行でのことだった。
 夜になれば当然女子トーク、恋愛話が始まる。
 クラスのあの子がカッコイイとか。先輩の第二ボタンが欲しいとか。今は彼氏と遠恋中とか。私は興味が無かった。
「あっ、なあ、千尋は好きな人とかおるん?」
 ずっと適当に相槌を打っていた私に話しかけてきたのは、その年の春転入してきた、由良奈だった。
 どちらかといえば教室の隅っこでお弁当を食べているような私のことを、いつも構ってくれる、優しくてよく笑う、今では大切な親友。
「え? ……私はー……いない、かな」
 その時由良奈に初めて嘘を吐いた。

  * * *

 三年の秋、変な時期に変な転入生が来てから、由良奈の様子がおかしいと思っていた。
 何だか以前よりいらいらしているような。
 長く続く雨のせいだと思っていた。

「ごめんな、ずっと千尋には言おうかなって……」
 ある日の放課後、由良奈は顔を真っ赤にして、私に打ち明けた。
 クラスメートの池君のことが好きらしい。
 彼は確か図書委員だったかな。
 実際に話したことはないけれど、まぁ良い人だと思う。
 私は親友らしく、笑って応援してあげるしかなかった。
「がんばって」
「ありがとう!」

 それから由良奈は、たまにその話題を振る。
 恋は人を不安にさせるんだな――と、一日一回は実感した。
「池くんかっこいいから、彼女おるかな?」
 そんなことを訊かれても、そもそも池君のことをあまり知らないので、困る。
 同じクラスにいるのに、影が薄いというか。
 私が言えることではないけれど。
 適当に「いない」とでも言えばいいのか。やっぱりあの修学旅行の時、もっと真面目に恋愛話に耳を傾けておくべきだったかも。
「恋してる由良奈は、いつもよりかわいいよ」
「ほんま?」
「ほんまほんま」
「嬉しいなー。千尋に話聞いてもらって良かった」
 私が由良奈の関西弁を真似てもあまり似ないけれど、彼女は笑う。
 その笑顔、池君にも見せるんでしょ。
 あぁ、嫉妬だなんて、醜い私。

 * * *

 行き場のない想いが、私のキャンバスにぶちまけられる。
 お気に入りだったグレーのカーディガンの袖は、キャンバスと同じ、緑、オレンジ、青、黒、様々な色に縁取られた。
 少し派手すぎたかも。いつも抽象画になることに変わりはないけど、今回は感情に任せすぎた。何だか私らしくないな。
 でもそれを、文化祭に提出する美術部の引退作品とした。
 顧問が「良いわね」と頷く。
「これ、コンクールに出したら賞が狙えそうよね、若園さん」
「……はい」
 今すぐにでも声を大にして叫びたいのを堪えた。
 本当に私が狙っているのは、賞ではなくて、由良奈、あなたなの。

 結局、佳作だった。
 このコンクールに全力をつぎ込んだ人には申し訳ないけれど、私にとっては至極どうでもいい。
「どうせ取るなら一番だよね」
 言い訳のように、吐き捨てるように、絵に八つ当たる。

  * * *

 美術の専門学校を顧問には薦められていたけれど、私は近くの私立女子高を選んだ。
 受験勉強は多分大丈夫。普段から勉強していたし、特進クラスに行くわけじゃないから偏差値はそんなに高くないし、模試の結果もB判定だった。
 と、私はまた余裕ぶる。

 もうすぐ卒業だね、教室で呟かれる声。後ろの黒板に大きなカウントダウンが書かれ、卒業式で合唱する曲も決めた。
 なんだか煩わしくなってきた。
 由良奈と離れたくないからかな。
 彼女は公立高校へ進学を希望し、毎日学校に残って勉強している。塾にも夜遅くまで通い詰めている。
 私は、彼女と進路が違うということに、納得しなければいけない。
 ――友よ、別れだ、また会おう。合唱曲のありふれた歌詞。
 合唱のピアノ奏者は知らない女子だった。
 三年間この中学に通ったのに、まだ知らない人がいる。そのことにちょっと、自分で自分に驚いていた。
「千尋はええなあ、歌上手くって」
「そうでもないよ?」
「またそんな謙遜」
 練習していても、よくドラマであるような仲間割れもなく。
 本当にこのまま、何も起こらず、真っ直ぐ卒業しそうだ。

 ふと池君のほうを見てみたら、彼もちゃんと歌っていた。
「池くんの声って好きやわ」
 私の隣で、うっとりした表情の由良奈が言う。
 池くんの声は私には聞こえなかった。
 由良奈の声を聞いていたい。

「……由良奈、もし卒業しても……」
「あ、ごめん千尋、何か言った?」
「……後で話すね」
 ピアノの前奏が流れてくる。
 私は大きく息を吸い込んで、由良奈に聞こえますようにと歌った。

 もう最後だから、いいよね。
 きっとそんな諦めが、私の中にあったのだと思う。

「さっき何て言おうとしたん?」
 休み時間になるとすぐに、由良奈は私に言った。
 音楽室の中も廊下も人がいっぱいだ。
「えっと……」
 私がそれを気にして言いよどんでいると、
「……言いにくいんやったら別にええけど」
 別にいいんだ。
 由良奈にとって、私の言いかけたことは。
 そういう意味で彼女が使ったわけではないと思うけれど、今の私はちょっと意地悪というか、卑屈的な思考だった。
「うん、なんでも、ない」
 言いかけてやめるというのも、最低かも。
 だからこう付け加えた。
「また今度話すね」
 私はこの言葉を嘘にしてしまうのかな。
 小首を傾けた由良奈の髪が揺れる。

  * * *

「最近の千尋、何か変やで」
 帰り道でそう言われて、私はびくっとした。
「体調悪いん? 勉強で疲れてるん?」
 残念ながら彼女の見当は外れ。
「元気だよ、ほらほら」
 私はスクールバッグをぎゅっと握って、ぶらぶらと振った。
 でも、由良奈が私のことを見てくれている。そんな自惚れが、どこからかやってきて、私を苛みはじめた。
 由良奈の大きな瞳が私を見るのが、なんだか辛い。

 どこかで誰かがギターを練習している。そんな音が聞こえる道。
 ここを抜けたら、由良奈の住むマンションがある。
 メロディをよくよく聞いてみると、――友よ、別れだ、また会おう――。
「たまに聞こえてくるやんなー、今日は卒業式の歌かあ……」
「うん」
 由良奈がそれに合わせて口ずさんだ。機嫌がいいのかな。
 かわいいなぁ。日に日に重くのしかかるこの感情。
 いっそ吐き出してしまえたら、いや、吐き出したら。
 どうなるのだろう。終わる、のか、この友情は。この恋は。
「……好き」
「んー?」
「ゆっ、由良奈の歌が!」
 訊き返されたことをいいことに、慌てて付け足す。
 そっか、と言った彼女は眉を下げて、何だか寂しそうに笑っていた。
「……なあ千尋、もし卒業してもな」
 あ、先に言われる。咄嗟にそう予感した。
「うちらってずっと親友――……」
 由良奈の言葉が途中で止まる。
 私は、急に目の前がふやけたように視界がぼやけて、由良奈の顔もよく見えなくなって、足が動かなくなって、必死に堪えようとした、けれど駄目だった。
「ご、……めんね……ごめんね、由良奈……」
 こんなはずじゃなかったのにな。
 弁解しようとすると、涙が零れそうになる。唇を噛みしめる。
 でも止まらない。
「ええで、千尋、ゆっくり話し。うち、待つから。何か言いたいことあるんやろ?」
 由良奈は小さい子を宥めるように、私の頭をそっと撫でてくれた。

「……っ、由良奈、私……あのね、本当は」

 ずっと、好きでした。

 やっと言えた私の本音を受け止めた由良奈の答えは当然『いいえ』だった。
 最初から知っていたことだけれど、彼女は本当に申し訳なさそうに、顔の前で手を合わせた。
 池君のことが好きな気持ちが、どうしても譲れないという。
 エゴでごめん、とか、ほんまごめん、とか、何回もごめんが重なる。
 私も由良奈に気持ちを勝手に押し付けたようなものなので、何回も謝ったり、言い訳をしたりした。
 お互い顔を見合わせたら、私の涙も治まって、なんだか笑いが込み上げてきた。
「えーと、これからも親友……じゃ、千尋は嫌やんな……」
「由良奈さえ良ければ、親友がいいかな」
「……無かったことにはせえへんで?」
 残酷な親友で良ければよろしく、と、由良奈は私に右手を差し出す。
 私も右手を出して、握手を交わした。
 言いたいことだけ言ってすっきりした、なんてのも最低かも。
 彼女は残酷な親友で、私は最低な親友だ。

「うちは千尋の絵、大好きやで」
「私も由良奈の歌、大好きだよ」

 帰ったらまた絵を描こう。
 絵の具はどこにしまったかな。まだキャンバスはあったかな。
 そして、今度こそ、私の全力をもって描く。
 今精一杯の、等身大の愛を。
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