ノートにいくつも付けられた丸。最後に赤ペンを机の上に置き、僕は大きく伸びをした。
 宿題を全て終えてしまった。残りの休みをどうやって過ごそう――考えあぐねるほどの問題じゃない。答えはすぐに出た。
 公園に行こう。陸に会いに。

「よお、はちみつ」
「こんにちは、陸」
 いつもの公園に行くと、やはり陸はそこにいて、お気に入りのギターを膝の上に乗せていた。
 はちみつ、というのは僕のあだ名だ。最初はクラスメートの誰かが付けたものだけど、僕は気に入って、そう名乗っている。
「いいのか? こんな所に来て。冬休みなのに」
「まぁ、昨日雪も降ったことだし……ここは寒いよね」
「じゃなくて。お前、もうすぐ高校受験なんだろ?」
 僕は黙って頷いた。
 中学三年生――勿論、全員が全員必ず進学するというわけではない。でも僕は一応進学することを選んだ。自分で言うのも何だか変な話だけど、成績は良い。学校は例え遠方のほうでも選べる。
 冬休みに入ったというのに、まだ志望校が決まっていない僕を、周囲の大人達はどう思っているだろう。
「……陸は、何高なの?」
「んー? 楓」
 陸の返答に僕は少し驚いた。
「嘘。そんな頭良かった?」
「ギリギリだったな。でもあの時のオレは頑張っていたんだ……」
「五言絶句と七言律詩の違いもわからないのに」
「……昔の話だ」
 僕の失礼極まりない質問にも、陸はきちんと答えてくれる。
 まるで兄のよう。僕は一人っ子なのだけど。
「今は休みだから私服だけど……いつも制服着てるだろ?」
「着崩しすぎ。わからないよ」
 そうかあ? と陸はごまかすように笑った。

 日が暮れたので陸にさよならを告げ、帰宅する。
 珍しく母さんが台所に立っていた。
「あら、お帰りなさい」
「ただいま」
 こんがり焼けたチキンの香ばしい匂い。
 そうか。今日はクリスマスだったんだ。
「ねぇ母さん。サンタクロース、来るかな」
「あんたにはもう来ないんじゃない?」
「わかってる。冗談だよ」
 僕が悪い子だから、という理由じゃないことぐらい。

  * * *

 二十九日には、陸から「年明けまで来られない」と言われた。具体的には、一月四日。帰省でもするのだろう。陸の家庭は複雑そうだけど、よくは知らない。
 僕は家に引きこもって、試験勉強をしたり、仕事で忙しい母さんの代わりに家事をしたり、休憩がてらにインターネットを使って、オンラインゲームで仲間と交流したりした。
 大きな蝶の髪飾りをいつも頭に付けているせいか、学校では既に変人として名の知られている僕だけど、そう言う人たちはみんなインターネットの世界を覗いてみたらいいかもしれない、と思う。
 世界は狭いようで広く、広いようで狭いものだ。他人を評価するには、他人を知らなくてはいけない。いつまでも、自分の世界にこもってばかりだと、世界は小さなまま、変わらない。
 ――でも、それって何だか僕のことみたいだ。

  * * *

 琉々から『あけましておめでとう』というメールが来ていた。
 彼女は僕のクラスメートだ。唯一顔と名前が一致しているし、仲も良いと思う。思っているだけで、もしかしたら僕の一人よがりだったりするかもしれないけれど。もしそうだとしたらそれは悲しい。
 彼女にメールを送った。件名は『Re:あけましておめでとう』のままで、内容は――『琉々はどこの高校を受けるの?』
『楓高校のつもり。はちみつは?』
 返事はその日の内に届いた。僕はメールを返す。
『まだ決めてない』
『成績良いのに変なの。はちみつだったらどこにでも行けるよ』
 実際は、どこにでも行けるわけではないのに、琉々はたまに、少し、意地悪だ。
 それもこれも、彼女は僕の想いを知っているからなんだけど。

 静かにお正月は過ぎ、母さんのパートの休みも終わってしまう。
 僕の冬休みはあと少しだけ続く。
「母さん。……僕、楓高校に行ったら、駄目かな?」
「あそこって確か公立よね? 駄目じゃないけど。どうしたの?」
「……好きな人が」
「不純ね」
 好きにしたらいいじゃない。と言ってくれた。
 母さんの口癖だ。

『僕も楓高校にしたよ』
『はちみつってストーカー?』
『そんな感じ』
『まぁ、いいけどね。学校選ぶのは自由だと思うから』
 琉々とメールをするのは楽しい。ついつい続けてしまう。付き合ってくれる彼女もまた、優しい人だ。陸のように。
 こうして僕は自分の世界に再び引きこもる。いけないループ。
『じゃあ、そろそろおやすみなさい。はちみつも早く寝るんだよ』
『うん、わかってる。おやすみ』
 メールはいつもこうして終わる。
 時計を見ると午後十時。少し早いか、とも思いつつ、ベッドに倒れこんだ。今日は、勉強はお休み。

  * * *

 夢を見た。まだ引っ越してくる前の記憶。
 小さな僕は母さんの手をぎゅっと握って、秋の公園を散歩していた。木々は美しく紅葉の時期を迎え、風の冷たさに怯えて、僕は母さんの腕にしがみつく。
「ほら、これを見て」
 そう差し出されたのは大きな楓の落ち葉だった。
「大きな手みたいね」
「……うん」
 僕は楓の葉をくるくると回したりして遊ぶ。たったそれだけでご機嫌になって。相変わらず調子の良い僕だ。
「ねぇママ。もってかえってもいいー?」
「好きにしたらいいじゃない」
 その好きにしたらいいという意味がわからなくて、足を止めた。
 この頃の僕は、ママと呼んでいたんだな。自覚して、少し恥ずかしくなった。こういうのを思春期とでも言うのだろうか。
 目が覚めたら、見えたのは、天井と、世界に伸ばした自分の手。

  * * *

 朝食で、焼鮭の骨を抜くのが面倒くさくて、母さんに渡したら突き返された。ついでに小言も頂く。
「楓高校、あんただったら少しランク落とすことになるわ」
「調べてくれたんだ」
「あんたは、まだまだ子供だからね」
 そう、僕はまだまだ子供だ。
 それでもいつしか大人になるのだろうか。今は想像もつかないけれど。
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