彼の背を追う (はちみつ独白)
 僕は今でも琉々と交友関係を保っているけど、琉々の方は本当はどう思っているのだろう。
 夜中にふっと考えただけで胸が痛い。
 寒かった。僕の心身は凍えきっていた。
 強くないと思う。
 僕は、強くなりたいのかもしれない。

 例えば、陸は、今でこそ『普通』だと本人は笑っているけど。
 昔はギターの代わりに木刀を常備していたらしくて、誰よりも速い足を武器に、暴力行為に走っていたという。
 僕は、暴力は嫌いだし、良くないことだと思うけど、陸は力を持っている。勝つ強さと、負ける強さを知っている。

 前の学校には、四谷がいた。
 彼はいつも一匹狼だった。教室の誰かに話しかけ、話しかけられることはあっても、誰も彼の友達だとは思っていなかったと思う。
 確かに目つきは悪いし、勉強はできなかったし、素行も悪かったけど、明るかった。どれほど辛くても、ずっと正面から立ち向かっていた。
 たった一人になっても戦える。そんな強さを四谷は持っていた。

 勉強の話でいうと、僕は強いほうだと自負していた。
 それも夏休みまでのことだったけど。
 今の僕には何もない。

 何もない僕だけど、琉々のような友達ができた。
 琉々はどこを見ているのだろう。

 自分の恋愛感情を自覚したのはあの夢を見たときからだった。
 その時は、単純に、手を繋ぎたい、とか、ふれたい、とか、そんな気持ちだった。
 今は、僕を見てほしい。
 『はちみつ』じゃなくて、何もない僕を。

2012/6/16

西向くカボチャ (千尋と由良奈)
 元織由良奈という転入生は、ずっと出席番号が一番最後だった私の席の、その後ろに座った。
「若園さん? よろしくなー」
 よろしく、と決まり文句の挨拶を交わす。
 明るい茶髪に大きくてぱっちりした瞳。今は転入生らしく緊張しているみたいだけど、きっと私とは違うグループなんだろうな。

 クラスの女子は、仲は悪くはない。激しい派閥争いだとか、ハブとか、そういうことはない。挨拶は勿論、他愛無い日常会話だって交わす。
 だけど私は輪に入るのが下手だから、いつも美術部の子とばかりいた。彼女たちもやっぱり輪に入るのは苦手なんだ。
 どうして誰かと一緒にいないと、友達がいないように見られるのかな。そんなことを考える自分も嫌だから、何も考えないようにしていた。嫌な感触は消えないけれど。

 あ、ほら、やっぱり。
 集団が元織さんを囲む。話題は大阪だった。
 女子たちによって私の椅子が圧迫される。こうなっては落ち着いて絵も描けやしない。あぁ、気がそがれる。
 私の後ろ髪は後ろの転入生にどんどん引っ張られる。別に彼女が私に何かしたわけではないのに。珍しいもの、それに集るなんて、新しいおもちゃをねだる子供みたいだ。

 一週間経った日の朝、突然そのラインを元織さんが超えてきた。
 美術部の作品が職員室前の廊下に展示してある。そこで私のを見たという。
「うちは芸術とかそんなんようわからへんけど、なんか、めっちゃ好きやなーって思ってん」
 キャンバスいっぱいピンクの空に、満開の水色の桜。よくある発想だと自分でも思いながら、この春休みに描いた。
 彼女は『珍しいことをする』私に興味があるんだろう。無邪気に笑いながら、私の領域に乗り込んでくる。
「クラブ忙しいやろうけど、がんばってな」
「ありがとう」
「また見に行くし」
 もうちょっと真面目に描けば良かった、と今更ながら反省した。
 色々考えてしまうぐらいには。

2012/10/30

She is not a heroine but a hero. (池家)
 剣道部の活動を終え、咲世が帰ろうとすると、体育館倉庫の扉が開いていることに気づいた。
 誰かいるのかと疑って中を覗く。
 制服姿の男子生徒が三、四人。うずくまった一人の生徒を囲んでいた。
「ちょっとそこのあんた達、何してるの!」
「げっ、咲世だ……っ」
「おい帰るぞ!」
 そう言って飛び出そうとする男子達の前に、咲世が絶壁のようにそびえ立つ。
「成敗! てい!」
 まず両手で手近に居た二人の腕を掴み、ぶん、と横に薙ぎ倒す。続けて一歩前に踏みだし、大柄だった男子を綺麗に一本背負いで地面に叩きつけた。
 そして、まだ立っている者に視線を移し、挑発するように手招きをする。
 男子達は情けない悲鳴を上げながら一散に逃げて行った。バケモノー、オトコオンナー、と捨て台詞にもならないようなこだまが倉庫に残響する。
「……大丈夫?」
 髪の毛一本乱さず、咲世は一番奥にいた男子生徒に声をかけ、立ち上がらせる。
 カツアゲでもされたのか、財布が力無く彼の左手から滑り落ちていった。足元にはレンズの割れた眼鏡。典型的な現場である。
「う……うわ……」
「あんたのことは殴らないから安心して。何年生? 名前は?」
「さ、三年……の池です……」
「三年? じゃああたしと一緒か。池。ふむ。同じクラスじゃないな」
「いえ、……貴女と俺は同じクラスです」
「……え?」
 咲世は目を丸くする。必死に記憶を辿る。池という名字に心当たりはないと思いこんでいたが、よくよく考えてみれば、確かに同じクラスにいた、ような気がした。

2012/11/9

霜月のある日 (時岡家)
「ねえあなた。名前……なにする?」
「私に決めさせて、良いのか?」
「良いの。あなたが決めて」
 母親に優しく抱かれたその赤ん坊は、今は穏やかに寝ている。髪色は母親譲りだが、目や鼻筋は父親に似ていた。
 窓からは紅葉が秋色に染まっている様子がよく見える。風が強く吹いているのか、枝が揺すられて葉が舞う。病院の中庭、落葉が模様を描いた。
 父親は、赤ん坊と母親の顔を交互に見た後、
「……陸、というのはどうだろう?」
「リク? アタシの名前に似てるわ」
「君と同じ音を持った方が親子らしい」
「あなたには似てなくていいの?」
「構わない」
 君が一人で産んだ子だ、と言いかけた口を噤んだ。

2012/11/21

土曜は焼き肉に行こう (池家)
 香澄はとっくの昔に寝静まっている時間だった。
 玄関のドアが開き、外の冷えきった空気がすっと居間に染み渡っていく。
 いつもより僅かに早い、父親の帰宅だった。
「まだ起きていたんですか、健一」
 健一はもそもそと炬燵から抜け出し、帰ってきた父親を玄関で出迎える。
 立っていると、足元から熱が逃げていくようだ。
「……お帰り。飯は?」
「これからです」
 彼は息子に対しても丁寧な口調で接する。それが健一にとっては何だかくすぐったい。
「香澄が作ったのが、まだ少し残ってる」
「そうですか」
 父親のコートを受け取ってハンガーにかけた後、健一は台所へ、父親は仏壇へと向かった。
 居間の炬燵の上には、英語の参考書が開いたまま置いてあった。おびただしい数の付箋。蛍光ライン。ノートにはいくつもの赤いチェックマーク。
 電源が入ったままのラジオは、今日の天気を繰り返す。
 やがて電子レンジで温まった肉団子と白ご飯が、健一によって炬燵上に並べられた。
 部屋着に着替えてきた父親が定位置に座り、いただきます、と言う。
 健一は参考書やノートを片付け始めた。鞄の中に、無造作に放り込まれていく。
「……健一、そこに座りなさい」
「はい」
 促され、作業の手を止めて、父親と向かうように座る。
 眼鏡の奥が優しそうに光っていた。
「……日付が変わってしまって、すまない。誕生日、おめでとう」
 健一は照れ臭くなって仏壇の方に目を向けた。夕方に立てた線香はとっくに消えているはずなのに、まだ火が点っているように思われた。

2012/11/29

有愛 (有斗と陸)
 日曜日は両親共々仕事に行ってしまうため、家には有斗と風斗の二人だけになる。
 有斗が中学生になった時からずっとそうだった。

「じゃあ今度遊びに行っていいか?」
 陸にそんな日常を話したら、提案された。
 え、と開けた有斗の口の手前で卵焼きが固まる。
「やっぱ日曜は迷惑か?」
「あぁ、いやいや、別にいいけどさ……陸こそ」
「うちは日曜もやってんだよ」
「へぇ……そうなんだ」
 小さな診療所なのに、日曜も頑張るんだなぁ、と有斗は素直に思った。
 何となく陸が家にいたがらないことは知っていた。彼が実の息子のように愛されていることは、診療所に行けばよくわかる。壁に貼られた写真や、カレンダーの書き込みや、おじさん達の口ぶりから。
 それでも陸は避けようとする。
 有斗には不思議なことだった。オレには両親が揃っているからわからないんだろう、と自分で納得させる。
「じゃ、母さんに話すよ。昼飯とかうちで食うだろ?」
「やった!」
「だから、陸も、おじさん達にちゃんと話しておいて」
「ああ、はいはい」
 きっと風斗も喜ぶだろうなと思って、有斗は目を細めた。
 風斗や陸が感じている寂しさのようなものを、少しでも埋めてあげられるだろうか。

2012/12/2

「二度と学校でするな」 (はちみつと真琴×美鈴)
 真琴と美鈴が付き合っているということを知ったのは、本当に偶然だった。実際そういう現場でも見ないとわからないものだなぁ、と僕はその時感心した。
 放課後、暖かいオレンジ色の夕日がカーテンで遮られた教室で。
 体を密着させながらキスしていたらそれは既成事実だろう。
 二人は僕に気づいて慌てて離れたけれど、今でも嫌というほどくっきりと覚えている。
「……頼むから、内緒にしておいてくれないか」
 あんなに弱気めいた真琴は、あれっきりだ。

2012/12/12

泣き虫と彼岸花 (団花と桜子)
 冬休みが終わってほしくなかった。

「桜子さん……」
 真冬にも関わらず、真っ赤な彼岸花が咲く踏切。
 『夕方になるとお化けが出る』という小学校ではやっている噂は本当で、ここには幽霊の桜子さんがいた。
 私の唯一の友達。命の恩人。
 それが今日は、呼んでみても姿を見せなかった。
 諦めよう。くるりと踵を返した。

 私が踏切で一人遊んでいる、と、大人も子供もみんな後ろ指をさした。
 そのことは辛いけど、泣き虫で引っ込み思案の私は何度も泣いたけど、そのたびに桜子さんに慰めてもらった。
 エンドレスだ。終わりが見えない。
 終わりがあるなら、それは私が大人になったときだろう。

 ふと強い風を感じて振り返った。踏切を、サラリーマンや学生でいっぱいの通勤列車が通った。
 桜子さんが立っている。
 こんなに風は強いのに、お下げはびくとも動かない。
「こんにちは、団花ちゃん」
 私はその声に呼ばれるよりも先に、桜子さんの元に駆け寄った。

2013/1/14

痛いの、痛いの (ベイク×蒼央)
 蒼央の左手首に刻まれたいくつもの赤い筋。その上にぐるぐると巻かれた包帯。
「……なんでわかったんだよ」
「えっ? あー……そうやなぁ、アオ君の顔見てたら、わかってしもうたというか……」
 ベイクがそっと蒼央の髪を撫でた。意地を張るようにツンと上を向いていた金髪が宥められる。
 遂に蒼央は肩を震わせて、嗚咽を漏らした。
「ちょ、どないしたんや?」
「……っ、だっ、……優し、いから……っ」
「なんぼでも優しうしたる。ほら、いたいのいたいの、とんでいけー」
「痛くねーし……」
 その後は声になっていない。まるで小さな子供のように、蒼央は泣き続けた。
 蒼央の左手首にベイクの両手が添う。白い包帯の下には、いくつもの生への絶望が横たわっている。
「……痛くないわけ、ないやろ」
 絶対に離してはいけないような気がして、ベイクは蒼央が泣き止むまで、ずっと擦っていた。

2012/9/17

友人のオリキャラをお借りしました。

添い遂げた弟へ(『添い遂げたアンドロイドへ』パロ) (玲×琉々)
 玲が死んだ。
 最初はとてもじゃないけれど信じられなかった。
 だって、昨日までは、ちゃんと生きていて、ここにいたのに。
 家で、ご飯を一緒に食べたり、私の作った小説の感想を言ってくれたり、ゲームをしたり。
 ルーズリーフの買い物に行ったり、ただ公園へ散歩に行ったり。
 学校では『天才』と呼ばれていた、そんな玲の将来の夢を、私は知らない。
 ある時は桜の王子様になりたいと言い、ある時は学校の先生になりたいと言い、ある時は漫画家になりたいと言い。
 だけど、いつだったか、確か、ロボットを作りたいと言っていたように思う。
 彼の学習机の上には、理工学の難しそうな本が山積みだった。
 教科書やノートをぱらぱらとめくっていく。汚い字。汚いけれど、私にとっては大切な字。今はもう、そのノートの余白が埋まることはないのだ。
 ファイルに挟まれた膨大な枚数のレポート用紙。気が遠くなりそうな数式が連ねてある。その裏には、らくがきのように、私の似顔絵が描いてあった。
「玲……」
 思わず彼の名を呟く。返事が無い事実に、涙が止まらない。
 『姉ちゃんのロボット』とその用紙のタイトル欄にあった。

 あれから数年が経ち。
 私は玲のロボットを作った。

  * * *

「おはよう。気分はどう? 私の弟」
 水泡の音と優しい匂いが充満する部屋の中。外は雪が降っていて、息が白い。ストーブをつけよう。
 昔は彼の部屋だった。今は私の研究室。
 元々数学が嫌で小説家を目指した私だったけれど、本当によく勉強して、ここまで作り上げたと思う。
 作り上げた玲はあの頃よりも少し大人びている。ぼさぼさの黒い髪。玲の瞳が開く。懐かしい色をしていた。
 ひとつひとつずつ、すべて色づいていく。
 ベッドに寝そべっていた彼のを優しく起こし、抱きしめる。
「ねぇ、私の鼓動が聞こえる?」
 私の音色をつたえた。

 はちみつは私を馬鹿にした。絶対に無理だよと言った。勉強するから大丈夫、と言ったのに、一向に受け入れてくれない。
 彼だって理系で、生物を扱っているのだから知識量は私よりあるわけで、手伝ってくれたら良かったのに。今大学院で勉強しているから、忙しいから、自分の居場所を守ろうとしたから。
 だから私は一人で作ったの。
 人のロボットを作るだなんて馬鹿げたことをするのは、私と玲だけでいい。

 玲はとても好奇心が旺盛で、私のことを何でも知りたがる。知りたがるから、気の済むまで教えるけれど、私にもわからないことを聞かれてしまってはどうしようもないので、二人で考えた。
 私のことをひとしきり尋ねた後、気が済んだのか今度は目に映るものすべてに興味を示した。
 火に関しては特に危なくて、直接触れようとするから本当にびっくりした。
「あれは触ったら駄目だって言ったでしょう!」
 大きな声を出してしまった。玲は悲しそうに眉を下げる。
 もうしない? と聞くと、しっかり頷いた。
「……じゃあ、呼んで。私の名前を」
 君のその手で、私に触れて。
「……ルル」
 ――そのまま、キスもして。

 僕は。
 テ、ト、テト、テト、手と手を合わせて。
 キ、ミ、キミ、君の唇に、キ、スキス、キスをしている。
 ボク、ボク、僕のハートは、トクトクトクトク。
 とくとくととく、姉ちゃんの音。
 君の唾液がぽたぽた。ぽたぽた。
 ぽたぽたぽたぽた。

  * * *

 僕は琉々と"コイビト"をして遊んだ。
 本当の玲は琉々とキョウダイだったけれど、彼女は僕に『姉ちゃん』と呼ばせてはくれなかった。
 君とルーズリーフのカイモノをしたり、公園までサンポをしたり。
 外を歩く日々はとてもとても満たされていた。
 だけど、それは許されなかったらしい。

 世界はとても愚かしいから、玲の存在を受け入れない。
 私の声もただ聞こえないフリをして、玲はただその浴びせ続けられる罵声にじっと耐えていた。
 彼は『天才』ではない。だから誰も彼を認めない。
 だって彼は『円玲』ではない。
 あの弟の脳味噌は私にもわからない。
 私が作った思考は、あくまで私の思考。私の思考から、少し成長するだけ。
「……聞いて、玲」
 人々の嫌な目線に割り込んで、私は手を伸ばした。
「ここから飛び出しましょう。さぁ、とって。私のこの手を」
 二人の世界へ。
「大丈夫」
 玲の左手が私の右手を掴む。
 弟は左利きだった。そこも苦労した箇所だった。私は右利きだから、左利きの人がどうやってお箸を持つのかもわからなかった。
 確かな震えが、静かに伝う。
「大丈夫よ、玲」
 もう一度言った。
 まるで自分にも言い聞かせるように。

 線路を辿って行った先の山奥に、昔祖父母が住んでいた平屋がある。
 私は玲を連れて、そこに住み込んだ。
 窓から見えるのは古い町並み。今は使われていない線路や踏切も見える。昔弟がそこで幽霊に会ったらしいけれど、結局私は彼女に会うことはなかった。
 幽霊でもいいから、弟に会いたい――そう願っていた日々もあった。
「ねぇ、玲。この家、埃塗れね」
「うん」
「掃除しないと」
「琉々は掃除が苦手だろ?」
 あれ。
 どうして玲は、私が掃除苦手なのを知っているのだろう。
 いつ教えたのか、思い出せない。
 二人で箒を持って掃いたり、雑巾がけをする。玲は体力的にとても優秀で、また効率的に掃除を済ませたので、私はとても楽だった。
 もうすぐ冬も終わる。

 毎日毎日、玲と買い物に行き、山を散歩して、彼の改良のために勉強をしたり、一緒に謎解きを作り合って遊んだ。
 出かける時はあまり人目につかないように、分厚いコートを着込んで、帽子を深く被る。
 今が冬で良かったけれど、春になったらどうしよう。
「琉々はこんな服を着たらいいよ。絶対似合うって」
 そう彼が指差したのは春物のワンピース。桜色で、切り替えの位置にストライプリボンがかわいらしくあしらってある。
「……少し派手じゃない?」
「いつも地味なのばかりだ」
「私はそういうのが好きだからいいの」
 本当は着てみたい。玲が私のために指差したそれを。
 私の体はそれまで許してくれるのだろうか。

  * * *

 ふと、琉々がつぶやく。
「時間がないの」
 と。
 僕の知らないなにかが、君を連れていく。
 呼んでいる。

  * * *

 カラ、カラ、カラ、と鐘が鳴る。
 時代に取り残されたような町並みに、時代に取り残されたような教会があった。そこには関西弁のシスターがいることで有名だけど、僕も琉々もお世話になったことはない。
 そこの鐘の音はこの山まで響き渡る。木霊がうまく作用しているんだ。僕は『天才』じゃないからわからないけれど。
 琉々はこの音が大好きだった。
 彼女を抱き上げて、麓の草原に出かける。
 草木の色は冬の終わりを告げていた。
 大きな桜の木の根元で、そっと彼女を下ろす。まだ風は少し冷たく、手が少し震える。
 カラ、カラ、カラ。
 琉々が微笑んだのを見て、僕はその唇に指を当ててキスをした。
 初めてキスをした時を思い出す。あの時は頭の中が真っ白で、琉々でいっぱいだった。
「琉々、これを君にあげる」
 ハナ。ハナでつくった、指輪。アイの指輪を。
 イマ――今、彼女の白い指に。
「ありがとう」

 キ、ミ、キミ、キミキミ、君は、目を閉じて、ただ、タダ、ただ、タダ、笑っていて、デモデモ、でも、でも、君の鼓動が。
 ナイナイナイナイ、ない、ない、ない、ない。

 テ、ト、テト、テト、テト、手と手を合わせて。
 キ、ミ、キ、ミ、キミ、キミ、君を抱きしめて。
 僕のなにかが。ぽたぽた。ぽたぽた。

「……――ねえちゃん……っ」

 ぽたぽたぽたぽた。

  * * *

 いつか、この場所で桜が咲いたら。
 僕は君に、「好きだ」と言うよ。

2013/10/5

「添い遂げたアンドロイドへ」(Tinkle-POP)パロディ。
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