You are my friend,aren't you? (はちみつと琉々)
「はちみつの前の学校って、どんな感じだったの」
出し抜けに琉々がそんなことを訊いてくるものだから、僕は内心どきりとした。
今は英語の時間だ。「スピーチ:友達を紹介してみましょう」だなんて、僕は陸のようにいけしゃあしゃあと嘘を吐ける体質ではないので、いきおい琉々に頼るしかなかった。
ペアが自由選択で助かったと思う。
で、たった今琉々に訊ねられた件に関しては、僕は正直あまり答えたくなかった。
「……僕の沽券に関わるから駄目」
琉々は「そう」と呟く。
それ以上追求してこないあたり、彼女の興味はそこで尽きてしまったのだろう。それとも本当に遠慮しているのだろうか?
早々と原稿を書き上げてしまった僕は残り時間をいたずらに過ごす。
あまり上手な英文ではないけれど、僕なりに琉々への友愛を込めたつもりだ。
「I love you」を使わなくても、充分表現できた。
2011/10/25
ルーズ・リーフ・タウン (琉々と玲)
私がルーズリーフが無いから勉強をしたくない、と言ったばかりに、友人は一人また一人と倒れていく。
皆、ルーズリーフを入手するため、かの町に足を踏み入れ――そこで途絶えた。
何もかも。
文も噂も影も形も息も。
私のためにだと、最後の一人はそう出発の前に言っていたそうだ。
私には真実を何も知らせないで。
ただ、行って参るとだけ残して。
私は涙を流し、声をあげて泣いた。
愛されるとはどういうことなのか、そしてその難しさを。
私は忘れない。
私のために戦ってくれた彼らのことを。
決して、忘れてはいけないのだと――ただひたすら胸に刻み込んだ。
私は自らその町に足を踏み入れた。
ルーズリーフはきっとそこにある。
彼らの示す道が私を導いてくれる。
不思議と恐怖を感じるようなことは無かった。
彼らが私を愛してくれたように。
私もまた彼らを愛しているから。
「……で?」
「玲がルーズリーフ買ってきてくれたらいいな、って……」
「姉ちゃんそれぐらい自分で行けよ! こんなお話書いて弟に見せるぐらいだったらさ」
「あ、面白かった?」
「全然。つーか何でルーズリーフ。ここルーズリーフじゃなくて『勇者直伝秘蔵の書』とかだったらいいのに……設定が謎過ぎる」
「だってルーズリーフ無いんだもん……RPGやりたいよね」
「……無くても勉強はできるって。さぁ、ほら、頑張れ。終わったら一緒に冒険しようぜ」
「家にあるRPGは一人用」
「オンラインがあるじゃん」
「小六のくせに生意気な……」
「登録に誘ったのは姉ちゃんだろー!?」
2011/11/15
掴まえられない小鳥 (琉々と玲)
帰宅した玲がリビングで見たのは、相変わらずソファに座って本を読んでいる琉々だった。
「小説は虚構だからこそ真実を描ける」
「今度はどうしたんだよ姉ちゃん……」
「別に。国語の問題文読み上げただけ」
「ふーん」
はい、と玲は買ってきたルーズリーフを姉に渡す。
琉々はそれを受け取って早速一枚取り出し、先程の言葉をメモした。
「あれ、勉強するんじゃねぇの?」
「これも勉強」
確かに読書は手っ取り早い勉強だと玲は思う。
しかしそういう意味でお使いに出されたわけではなかったはずなのだが。
「明日テストだろ……本読んでないでさぁ」
「だって面白いんだもん。玲はお節介焼きのきらいがあるよ」
「姉ちゃんは逃避癖のきらいがあるよな……」
「わかっててもやっちゃうんだよね。あ、そんな寓話って無かった?」
そんな寓話。わかっていながらやってしまう――というのはよくある話だ。そういったものが膾炙しているかはさておき。
玲は小首を傾げた。
「イソップ物語とかその辺……?」
「多分その辺」
「自分でもわかんねぇのかよ」
次図書館行ったら探そうかな、と玲は頭の隅で考える。
あと他に借りたい本はあったっけ。以前読んだシリーズの最新刊がそろそろ入っている頃だろうな。
そんな玲の思考回路を断つように琉々が言う。
「私、示唆に富む話が大好き」
「話題ずらしたな……」
「まぁ、恣意的に解釈している話が大多数なんだけどね」
あははと笑う姉を見て、何だか楽しそうだなぁと感じた。
何にも縛られることはない。彼女には桎梏がない。
そのマイペースっぷりは人後に落ちないだろう――単に、玲の短い人生の中で未だ彼女以上に出会ったことがないだけとも。
「……姉ちゃん、そういうの妄想って言うんだぜ」
一つだけ付け加えて、玲は算数のノートを開いた。
2011/11/16
ルーズ・リーフ・タウンの続きでした。
準備はよろしいでしょうか、お姫様 (陸とはちみつ)
「ねぇ陸。ひめ始め……って知ってる?」
「はちみつが言うとエロく聞こえるな……」
実際にはちみつは艶な声色を使って言ったのだから、陸がそう感じるのも無理ないことだった。
そのままじっと陸を見つめるはちみつの様子は、何だか肉食動物を彷彿とさせる。
「まあ大体はわかる。だがなここは公園だ、落ち着け」
「何のこと?」
と、今度はとぼけるように。
陸は質問をまた違う質問で返した。
「端を発したのはそっちの言葉だろ?」
「……そういう空気に持っていったのは陸だよ」
はちみつは陸から視線を外そうとしない。
このままじゃ埒が開かないな――そう陸が思っていると、はちみつは陸が何を危惧していたのか察したように、
「あ、別に陸を襲おうとかしてないから」
嘘だ!
陸は声を大にして叫びたいのをぐっとこらえた。
はちみつが嘘など吐いていないことがわかったからだ。もう捕食者の目はしていなかった。
にしても、わざとあんな目つきにできるものなのだろうか。
相変わらず変な人だ。
「……よし、はちみつの言いたいことはよくわかった。要するにオレが知らないような知識をばらまいて、存分にからかおうって魂胆だな?」
「やっぱり陸って洞察力ないね……」
「これでもお前に鍛えられたはずなんだが」
「僕は成績の話をしたかったんだよ」
「姫始めからそこまで飛ぶか!?」
「いや、全然関係ないけど」
「……」
難しい。
複雑だ。
「……というか洞察力云々の問題じゃないだろ。もはやただの気まぐれだろ」
「そういうことになるね」
陸は溜息を吐いた。
今まで一番気まぐれな人間は琉々だと思っていたが――はちみつも大概だった。類推してみるとこの二人、他にもかなり似ているような気までしてくる。
「もう受験生の冬だというのに僕はこうして毎日公園に来ます。さてどうしてでしょうか?」
「私立推薦?」
「残念。陸に会いたいからです」
「勉強しろよ……」
はちみつは意地悪そうに笑った。
「こう見えても僕は絶対評価だと成績優秀なんだ」
「なるほどな。相対はどうなんだ?」
にやにやしながら陸を見てくる。そして、やたらともったいぶった挙句、
「学年一位だったりして」
嘘だ二回目。
しかし今回も嘘ではなさそうだった。
「まぁ、楽観的に見てだけど。主要五教科を総合すると、多分」
「榊学園とか行けるじゃないか……」
「いいや、第一志望は楓だよ」
「なんでまた。あ、近いからか?」
「残念。陸に会いたいからです」
「そうかい」
もう嬉しいんだか嬉しくないのだかわからなくなってきた。
少なくとも一人の少年の未来を自分のせいで曲げてしまったことに対し、余計複雑な気持ちになる陸だった。
2011/11/17
檻の中の少女 (琉々と玲)
少女は檻の中にいた。
そこではいつも一人だったが、毎日友人が訪ねて来るので、彼女は寂しくなかった。
友人から外の世界の話を聞く。
空、太陽、海――……見たことないものの話に心躍らせた。
一度花を持ってきてくれたこともある。触ってみると柔らかくて、いい香りがした。
その日、友人は男の人を連れてきた。
「はじめまして」
少女はしっかりと声を記憶した。
「あっ、玲! それまだ書きかけなの!」
「読めばわかるけど……これはどんな話になるんだ?」
「……内緒。できたらまた見せるから」
「この少女、目が見えないんだろ?」
「何でそう思ったの?」
「友人や花や男性の外的特徴が書かれてないじゃん」
「姉ちゃん拗ねるなよー!」
「……やっぱり私にはトリックなんて無理だったんだ……」
「殺人事件でも書く気だったのかよー! ごめんってばー!」
2011/12/11
○は盲目 (千尋と由良奈)
「あっ、なーなー千尋。今、池くんこっち見たかもしれへん」
そう嬉しそうに由良奈は言った。
由良奈は、クラスメートで図書委員の池健一のことが好き。
でも池君は、同じ図書委員の円琉々のことが好きなんじゃないかな、と私は思っている。勘だけど。
そして酔狂な転入生『はちみつ』は、この前の大雨の日に、円さんに告白した、らしい。
「今日もかっこええわあ……」
「そんな声で喋ってたら、聞こえてるんじゃないの?」
「別にええやん。……あ、でもやっぱりちょっと恥ずかしいな」
「ほら」
私は、由良奈が池君のことを好きなことには、ずっと前から気づいていた。何となく、そうなんじゃないかと思っていた。
本人から言われたのはつい最近。
絶対池くんには言わんとってな? と顔を赤くする由良奈は、とても可愛かった。
2012/1/16
まるで (琉々と玲)
「姉ちゃん、魔法を見せてあげる」
ベランダで、弟と皆既月食を見ていた時だった。
「魔法?」
「うん。好きだろ?」
そんなこと言った覚えはないんだけどなぁ。
と思ったけど、段々幼い頃に言ってたような気もしてきたから、それについて否定はしなかった。
私はよく、魔法使いの出てくる絵本を読んでいた。王子様よりも、何でも願いを叶える魔法使いや、人々に邪険に扱われる悪い魔女のほうが好きだった。
「でも、人間は魔法を使えないでしょう?」
「使えるんだよ、ほら!」
彼は手をかざした。
何が起こったのか、私にはわからないけど。
「月がちょっと小さくなったよ」
小さな弟は魔法を信じている。
それはまるで昔の私のように。
2012/2/17
皆既月食している月に手をかざしてですね…ぱっとどけると、あら不思議、さっきより月が欠けているわ!(当然)という話です。わかりにくい。
ヘンナヒト (琉々と玲)
帰宅した琉々が見たのはリビングでノートを広げて勉強している玲だった。
いつものことながら、頑張っているなぁと思う。
「何かわかんないことがあったら姉ちゃんに訊いてね」
とりあえず『優しい姉』らしく、そっと声をかけた。
制服も着替えず、そのままソファに座って弟を観察する。
しばらくして、玲が振り返った。
「はちみつさんのどのへんが変な人なの?」
「……それ訊くんだ……」
「だって姉ちゃんが変人変人としか言わないから。興味本位で……駄目?」
駄目というわけではない、と琉々は勝手に思う。
事実はちみつは変人なんだし、と自分に言い聞かせて。
――しかし、玲の前では、はちみつは常識人ぶっているということか。
「玲、あの人はね、」
「うん」
「学校に女装して来るの」
琉々はわざと大袈裟に言ってみた。
実際に彼がスカートを履いて来たこともないし、頭に大きな蝶の髪飾りを付けているだけなのだが。
「ふーん。他には?」
「他にも訊くの? ……えっと」
はちみつのことを思い返す。一人が好き。家に帰ったら勉強とオンラインゲーム。体育が(できるくせに)嫌い。
「あ、前の学校では毎日ジャージ登校してたって」
「体育系クラブだったってこと?」
「帰宅部よ、あの人」
「制服あんのに?」
「学ラン嫌だったんだって」
「変なのー」
そう言うと玲は楽しそうに笑った。からかいとか嫌みとか、そんな風ではなく。
「すっきりした。ありがとう、姉ちゃん」
「……? どういたしまして?」
よくわからないままに感謝され、琉々は戸惑う。
玲は玲で、あーすっきりしたなどと呟いて、また勉強に戻るのだった。
2012/2/29
バースデイ・スケジュール (有斗×京子)
「先輩の誕生日っていつですか」
「五月一日です」
その答えを聞いてから、有斗はしまったという顔をした。
五月といえば、既に新生活が始まっていて忙しい頃だ――京子は大学生になる。そして有斗自身は、二年生となって、恐らく弓道部存続活動に明け暮れることとなるだろう。
京子が右手を口にあてて笑った。
「何かありましたか? 変な顔になっていますよ」
「あっ、いえ、その、何でも……ないです」
「そうですか。では、有斗君の誕生日はいつですか?」
気が付くと彼女はちゃんと手帳を取り出している。
有斗は慌てて携帯電話のアドレス帳機能を起動して、『春田先輩』と書いてある欄に、『五月一日』と付け加えた。
「オレは十二月二日です」
「あら、じゃあ私の大体七ヵ月後ですね」
さらさらと手帳に書き加えている様子を見て、有斗は敵わないなあと思う。その時脳裏に一つ過ぎった不安を隠さずにはいられなかった。
「あ、あの、先輩」
「何でしょう」
「……来年の四月になっても、会えます、よね……?」
「当たり前じゃないですか」
有斗は顔を明るくする。我ながら単純な思考回路だった。
2012/5/2
ハチミツデイズ(『カゲロウデイズ』パロ) (蒼央×はちみつ)
八月もなかば、十五日。
夏至はとっくにすぎて、日照時間は短くなっているはずなのに暑い。だれる。
アイスでも食わなきゃやってらんね。
おれはまた病院に来ていた。
真っ白で無機質な部屋に、はちみつがいる。
「日本には梅雨があるからね」
「梅雨ぅ?」
いつもはおれが来ても、どうでもよさそうにするくせに、今日は話を合わせてきた。機嫌がいいみたいだった。
「夏至の前には梅雨がある。太陽は少しずつ地面を温めているんだよ。それが、八月頃にピークを迎えるんだ」
「あいかわらず物知りだなー」
「ちなみに、内陸部は七月頃が一番暑いそうだよ」
病室からは遠くのほうに海が見える。
はちみつはおれから視線をそらして、ずっと窓の外を見ていた。
大きな蝶の髪飾りは花瓶の横に置いてある。
「ねぇ、四谷。……外に行きたい」
外に行ったら行ったで、直射日光を浴びるわけだから、すんごく暑い。
汗がだらだら流れるのは、みんみんとうるさく蝉が鳴いてるせいにした。
というか暑いのは苦手じゃなかったっけ。本人が望んだんだし、まあいっか。
病院の庭にある、日陰のベンチに腰掛けた彼は、よけいに病人っぽく見えた。
「あっづー。おい、長袖で大丈夫なのか?」
「大丈夫」
と言いつつ、袖を捲りだすはちみつ。
「でもまぁ、夏は嫌いかな」
「やっぱ嫌いなんじゃねーかよ……」
あ。と彼が指さした方向、病院の門の傍に、黒猫。
横切られた。わあ、不吉。
「黒猫に罪は無いのに、疎ましがられるのは可哀相だと思う?」
「知んねーよ」
猫に対し興味が沸いたらしいはちみつは、門の方に歩いていく。その背中をなんとなしに、ぼーっと眺めていた。無気力だった。
はちみつが猫を撫でると、そいつは逃げた。道路の方に。つられたように追いかけるはちみつ。
歩行者信号が赤に変わった。
そのあとすぐにトラックが通る――飛び出したはちみつを引きずって。
嫌な音がした。
は?
――嘘、だろ?
「 い―― ―― っ!」
思わず叫んだ自分の声も聞こえない。
向こう側は陽炎が揺らめいていた。線がずれたトラックの上で、道に倒れたままの彼の上で、踊るように。
「嘘じゃないぞ」
って。誰かが言うのが聞こえた。
目をさました。
やたらと蝉の鳴き声がうるさい。
右手を伸ばしてケータイを見ると、八月十四日の零時すぎ。
「やな夢を見たな……」
はちみつが気になった。
今日も病院に行く。
おれが訪れたとき、すでに彼は機嫌が良さそうで、「外に行きたい」と言った。
おれは夢を思いだしながら、ちょっと嫌な予感がして、なんとかベッドに押しこめようとする。
「触るな変態」
「てめーのほうが絶対変態だろ!?」
気味悪いほど蜂蜜大好きだし。虫大好きだし。やたら女っぽいし、大きな蝶の髪飾り付けて女装するし。あと女子の好みは変だし。
そうだ、ここで一応誓っておこう。
はちみつよりかわいい女子はいねえ。
「ねぇ、四谷……」
「なんだ、やっとおれと付きあう気になったか!」
こっちは本気なんだよ。
「いや違うよ。外に行きたい」
「さいですか……」
階段で手を繋ごうとしたらはたかれた。
鉄壁ガードだ。
やっぱり外は暑い。蝉の声も暑さを増すのに一役買ってるんじゃねーかってぐらい。
おれが自動販売機でジュースで買ってる隙に、はちみつはまたふらふらと庭を歩きまわる。
「おい、あんまり動くなよ――」
そう声をかけて手を伸ばしかけた。かすりもしない指先。陽炎のせいか、小さな背中は遠くに揺れて見える。
この後ろ姿はデジャヴだ。消えない嫌な予感。耳をふさぎたくなるほどうるさい蝉の鳴き声。
空から降ってきた鉄の塊が、はちみつに襲いかかる。
ありえないだろ。ふざけんな。
血が流れてしみこんでいく地面の上。楽しそうに陽炎はゆらゆらと揺れる。
はちみつはこっちを向いて倒れていた。
安心したように笑っていた。
目がくらみ、再び世界は暗転。目をさましたらベッドの上。
今日も八月十四日の零時すぎから始まる。
そして、午後十二時半ぐらいになると、はちみつは死ぬ。
突っこんできた車に轢かれ。古い大木が倒れてきて。足を滑らせ階段から転がり落ちて。
おれがあがくのをあざ笑うように陽炎は揺れていた。
いっそ病院へ行かなきゃいいのかとも思ったけど、毎度毎度気になってしかたないから行くことにする。
今度こそ外に連れ出さない――そう考えていたら、おれが病院の門をくぐった時点で、はちみつは病室の窓から飛び降りた。
くそったれ。どうにかできないのかよ。
そうだ。
なにも手段がないわけじゃなかった。
「でもまぁ、夏は嫌いかな」
もう何千回目と聞く言葉。
全ての行動言動表情に目を光らせていたら、怖い顔になっていたらしく「不良が睨んでくる」と言われた。
「あ、黒猫だよ。……横切ったね、」
「『黒猫に罪は無いのに不吉だと疎ましがられるのは可哀相だと思う?』だろ?」
いつもの台詞の続きを遮って。
おれは黒猫を追いかけるはちみつを押しのけて、赤信号に突っ込んだ。
痛い痛い痛い痛いたい痛いたいい痛いたい痛いたい痛いた痛いいい痛いたい痛い痛い痛痛痛いいいたいいたい痛いいいたいいたい。
横向きの世界で、はちみつが棒立ちになっていた。
そんな悲しそうな顔をするなよ。おれはお前が元気なら、それが一番いいに決まってんだよ。
おれがいなくてもはちみつは生きていける。きっと元気になって、新しい学校に行って、色んなこと勉強して、恋をして。幸せになれ。
相変わらず陽炎は揺れているが、今日は悔しそうに見えた。
もうすぐおれの夏休みは終わりを告げる。
「ざまあみろ」
もう声にもならない。
代わりに、精一杯笑ってみせた。
* * *
目を覚ました。
真っ白で無機質な病室のベッドの上で。
今は八月十四日の午前零時過ぎだろうか。
「……四谷は今日も来るかもしれないね」
僕は大きな蝶の髪飾りに触れて、蝉の声を聞いていた。
2012/6/6
「はちみつの前の学校って、どんな感じだったの」
出し抜けに琉々がそんなことを訊いてくるものだから、僕は内心どきりとした。
今は英語の時間だ。「スピーチ:友達を紹介してみましょう」だなんて、僕は陸のようにいけしゃあしゃあと嘘を吐ける体質ではないので、いきおい琉々に頼るしかなかった。
ペアが自由選択で助かったと思う。
で、たった今琉々に訊ねられた件に関しては、僕は正直あまり答えたくなかった。
「……僕の沽券に関わるから駄目」
琉々は「そう」と呟く。
それ以上追求してこないあたり、彼女の興味はそこで尽きてしまったのだろう。それとも本当に遠慮しているのだろうか?
早々と原稿を書き上げてしまった僕は残り時間をいたずらに過ごす。
あまり上手な英文ではないけれど、僕なりに琉々への友愛を込めたつもりだ。
「I love you」を使わなくても、充分表現できた。
2011/10/25
ルーズ・リーフ・タウン (琉々と玲)
私がルーズリーフが無いから勉強をしたくない、と言ったばかりに、友人は一人また一人と倒れていく。
皆、ルーズリーフを入手するため、かの町に足を踏み入れ――そこで途絶えた。
何もかも。
文も噂も影も形も息も。
私のためにだと、最後の一人はそう出発の前に言っていたそうだ。
私には真実を何も知らせないで。
ただ、行って参るとだけ残して。
私は涙を流し、声をあげて泣いた。
愛されるとはどういうことなのか、そしてその難しさを。
私は忘れない。
私のために戦ってくれた彼らのことを。
決して、忘れてはいけないのだと――ただひたすら胸に刻み込んだ。
私は自らその町に足を踏み入れた。
ルーズリーフはきっとそこにある。
彼らの示す道が私を導いてくれる。
不思議と恐怖を感じるようなことは無かった。
彼らが私を愛してくれたように。
私もまた彼らを愛しているから。
「……で?」
「玲がルーズリーフ買ってきてくれたらいいな、って……」
「姉ちゃんそれぐらい自分で行けよ! こんなお話書いて弟に見せるぐらいだったらさ」
「あ、面白かった?」
「全然。つーか何でルーズリーフ。ここルーズリーフじゃなくて『勇者直伝秘蔵の書』とかだったらいいのに……設定が謎過ぎる」
「だってルーズリーフ無いんだもん……RPGやりたいよね」
「……無くても勉強はできるって。さぁ、ほら、頑張れ。終わったら一緒に冒険しようぜ」
「家にあるRPGは一人用」
「オンラインがあるじゃん」
「小六のくせに生意気な……」
「登録に誘ったのは姉ちゃんだろー!?」
2011/11/15
掴まえられない小鳥 (琉々と玲)
帰宅した玲がリビングで見たのは、相変わらずソファに座って本を読んでいる琉々だった。
「小説は虚構だからこそ真実を描ける」
「今度はどうしたんだよ姉ちゃん……」
「別に。国語の問題文読み上げただけ」
「ふーん」
はい、と玲は買ってきたルーズリーフを姉に渡す。
琉々はそれを受け取って早速一枚取り出し、先程の言葉をメモした。
「あれ、勉強するんじゃねぇの?」
「これも勉強」
確かに読書は手っ取り早い勉強だと玲は思う。
しかしそういう意味でお使いに出されたわけではなかったはずなのだが。
「明日テストだろ……本読んでないでさぁ」
「だって面白いんだもん。玲はお節介焼きのきらいがあるよ」
「姉ちゃんは逃避癖のきらいがあるよな……」
「わかっててもやっちゃうんだよね。あ、そんな寓話って無かった?」
そんな寓話。わかっていながらやってしまう――というのはよくある話だ。そういったものが膾炙しているかはさておき。
玲は小首を傾げた。
「イソップ物語とかその辺……?」
「多分その辺」
「自分でもわかんねぇのかよ」
次図書館行ったら探そうかな、と玲は頭の隅で考える。
あと他に借りたい本はあったっけ。以前読んだシリーズの最新刊がそろそろ入っている頃だろうな。
そんな玲の思考回路を断つように琉々が言う。
「私、示唆に富む話が大好き」
「話題ずらしたな……」
「まぁ、恣意的に解釈している話が大多数なんだけどね」
あははと笑う姉を見て、何だか楽しそうだなぁと感じた。
何にも縛られることはない。彼女には桎梏がない。
そのマイペースっぷりは人後に落ちないだろう――単に、玲の短い人生の中で未だ彼女以上に出会ったことがないだけとも。
「……姉ちゃん、そういうの妄想って言うんだぜ」
一つだけ付け加えて、玲は算数のノートを開いた。
2011/11/16
ルーズ・リーフ・タウンの続きでした。
準備はよろしいでしょうか、お姫様 (陸とはちみつ)
「ねぇ陸。ひめ始め……って知ってる?」
「はちみつが言うとエロく聞こえるな……」
実際にはちみつは艶な声色を使って言ったのだから、陸がそう感じるのも無理ないことだった。
そのままじっと陸を見つめるはちみつの様子は、何だか肉食動物を彷彿とさせる。
「まあ大体はわかる。だがなここは公園だ、落ち着け」
「何のこと?」
と、今度はとぼけるように。
陸は質問をまた違う質問で返した。
「端を発したのはそっちの言葉だろ?」
「……そういう空気に持っていったのは陸だよ」
はちみつは陸から視線を外そうとしない。
このままじゃ埒が開かないな――そう陸が思っていると、はちみつは陸が何を危惧していたのか察したように、
「あ、別に陸を襲おうとかしてないから」
嘘だ!
陸は声を大にして叫びたいのをぐっとこらえた。
はちみつが嘘など吐いていないことがわかったからだ。もう捕食者の目はしていなかった。
にしても、わざとあんな目つきにできるものなのだろうか。
相変わらず変な人だ。
「……よし、はちみつの言いたいことはよくわかった。要するにオレが知らないような知識をばらまいて、存分にからかおうって魂胆だな?」
「やっぱり陸って洞察力ないね……」
「これでもお前に鍛えられたはずなんだが」
「僕は成績の話をしたかったんだよ」
「姫始めからそこまで飛ぶか!?」
「いや、全然関係ないけど」
「……」
難しい。
複雑だ。
「……というか洞察力云々の問題じゃないだろ。もはやただの気まぐれだろ」
「そういうことになるね」
陸は溜息を吐いた。
今まで一番気まぐれな人間は琉々だと思っていたが――はちみつも大概だった。類推してみるとこの二人、他にもかなり似ているような気までしてくる。
「もう受験生の冬だというのに僕はこうして毎日公園に来ます。さてどうしてでしょうか?」
「私立推薦?」
「残念。陸に会いたいからです」
「勉強しろよ……」
はちみつは意地悪そうに笑った。
「こう見えても僕は絶対評価だと成績優秀なんだ」
「なるほどな。相対はどうなんだ?」
にやにやしながら陸を見てくる。そして、やたらともったいぶった挙句、
「学年一位だったりして」
嘘だ二回目。
しかし今回も嘘ではなさそうだった。
「まぁ、楽観的に見てだけど。主要五教科を総合すると、多分」
「榊学園とか行けるじゃないか……」
「いいや、第一志望は楓だよ」
「なんでまた。あ、近いからか?」
「残念。陸に会いたいからです」
「そうかい」
もう嬉しいんだか嬉しくないのだかわからなくなってきた。
少なくとも一人の少年の未来を自分のせいで曲げてしまったことに対し、余計複雑な気持ちになる陸だった。
2011/11/17
檻の中の少女 (琉々と玲)
少女は檻の中にいた。
そこではいつも一人だったが、毎日友人が訪ねて来るので、彼女は寂しくなかった。
友人から外の世界の話を聞く。
空、太陽、海――……見たことないものの話に心躍らせた。
一度花を持ってきてくれたこともある。触ってみると柔らかくて、いい香りがした。
その日、友人は男の人を連れてきた。
「はじめまして」
少女はしっかりと声を記憶した。
「あっ、玲! それまだ書きかけなの!」
「読めばわかるけど……これはどんな話になるんだ?」
「……内緒。できたらまた見せるから」
「この少女、目が見えないんだろ?」
「何でそう思ったの?」
「友人や花や男性の外的特徴が書かれてないじゃん」
「姉ちゃん拗ねるなよー!」
「……やっぱり私にはトリックなんて無理だったんだ……」
「殺人事件でも書く気だったのかよー! ごめんってばー!」
2011/12/11
○は盲目 (千尋と由良奈)
「あっ、なーなー千尋。今、池くんこっち見たかもしれへん」
そう嬉しそうに由良奈は言った。
由良奈は、クラスメートで図書委員の池健一のことが好き。
でも池君は、同じ図書委員の円琉々のことが好きなんじゃないかな、と私は思っている。勘だけど。
そして酔狂な転入生『はちみつ』は、この前の大雨の日に、円さんに告白した、らしい。
「今日もかっこええわあ……」
「そんな声で喋ってたら、聞こえてるんじゃないの?」
「別にええやん。……あ、でもやっぱりちょっと恥ずかしいな」
「ほら」
私は、由良奈が池君のことを好きなことには、ずっと前から気づいていた。何となく、そうなんじゃないかと思っていた。
本人から言われたのはつい最近。
絶対池くんには言わんとってな? と顔を赤くする由良奈は、とても可愛かった。
2012/1/16
まるで (琉々と玲)
「姉ちゃん、魔法を見せてあげる」
ベランダで、弟と皆既月食を見ていた時だった。
「魔法?」
「うん。好きだろ?」
そんなこと言った覚えはないんだけどなぁ。
と思ったけど、段々幼い頃に言ってたような気もしてきたから、それについて否定はしなかった。
私はよく、魔法使いの出てくる絵本を読んでいた。王子様よりも、何でも願いを叶える魔法使いや、人々に邪険に扱われる悪い魔女のほうが好きだった。
「でも、人間は魔法を使えないでしょう?」
「使えるんだよ、ほら!」
彼は手をかざした。
何が起こったのか、私にはわからないけど。
「月がちょっと小さくなったよ」
小さな弟は魔法を信じている。
それはまるで昔の私のように。
2012/2/17
皆既月食している月に手をかざしてですね…ぱっとどけると、あら不思議、さっきより月が欠けているわ!(当然)という話です。わかりにくい。
ヘンナヒト (琉々と玲)
帰宅した琉々が見たのはリビングでノートを広げて勉強している玲だった。
いつものことながら、頑張っているなぁと思う。
「何かわかんないことがあったら姉ちゃんに訊いてね」
とりあえず『優しい姉』らしく、そっと声をかけた。
制服も着替えず、そのままソファに座って弟を観察する。
しばらくして、玲が振り返った。
「はちみつさんのどのへんが変な人なの?」
「……それ訊くんだ……」
「だって姉ちゃんが変人変人としか言わないから。興味本位で……駄目?」
駄目というわけではない、と琉々は勝手に思う。
事実はちみつは変人なんだし、と自分に言い聞かせて。
――しかし、玲の前では、はちみつは常識人ぶっているということか。
「玲、あの人はね、」
「うん」
「学校に女装して来るの」
琉々はわざと大袈裟に言ってみた。
実際に彼がスカートを履いて来たこともないし、頭に大きな蝶の髪飾りを付けているだけなのだが。
「ふーん。他には?」
「他にも訊くの? ……えっと」
はちみつのことを思い返す。一人が好き。家に帰ったら勉強とオンラインゲーム。体育が(できるくせに)嫌い。
「あ、前の学校では毎日ジャージ登校してたって」
「体育系クラブだったってこと?」
「帰宅部よ、あの人」
「制服あんのに?」
「学ラン嫌だったんだって」
「変なのー」
そう言うと玲は楽しそうに笑った。からかいとか嫌みとか、そんな風ではなく。
「すっきりした。ありがとう、姉ちゃん」
「……? どういたしまして?」
よくわからないままに感謝され、琉々は戸惑う。
玲は玲で、あーすっきりしたなどと呟いて、また勉強に戻るのだった。
2012/2/29
バースデイ・スケジュール (有斗×京子)
「先輩の誕生日っていつですか」
「五月一日です」
その答えを聞いてから、有斗はしまったという顔をした。
五月といえば、既に新生活が始まっていて忙しい頃だ――京子は大学生になる。そして有斗自身は、二年生となって、恐らく弓道部存続活動に明け暮れることとなるだろう。
京子が右手を口にあてて笑った。
「何かありましたか? 変な顔になっていますよ」
「あっ、いえ、その、何でも……ないです」
「そうですか。では、有斗君の誕生日はいつですか?」
気が付くと彼女はちゃんと手帳を取り出している。
有斗は慌てて携帯電話のアドレス帳機能を起動して、『春田先輩』と書いてある欄に、『五月一日』と付け加えた。
「オレは十二月二日です」
「あら、じゃあ私の大体七ヵ月後ですね」
さらさらと手帳に書き加えている様子を見て、有斗は敵わないなあと思う。その時脳裏に一つ過ぎった不安を隠さずにはいられなかった。
「あ、あの、先輩」
「何でしょう」
「……来年の四月になっても、会えます、よね……?」
「当たり前じゃないですか」
有斗は顔を明るくする。我ながら単純な思考回路だった。
2012/5/2
ハチミツデイズ(『カゲロウデイズ』パロ) (蒼央×はちみつ)
八月もなかば、十五日。
夏至はとっくにすぎて、日照時間は短くなっているはずなのに暑い。だれる。
アイスでも食わなきゃやってらんね。
おれはまた病院に来ていた。
真っ白で無機質な部屋に、はちみつがいる。
「日本には梅雨があるからね」
「梅雨ぅ?」
いつもはおれが来ても、どうでもよさそうにするくせに、今日は話を合わせてきた。機嫌がいいみたいだった。
「夏至の前には梅雨がある。太陽は少しずつ地面を温めているんだよ。それが、八月頃にピークを迎えるんだ」
「あいかわらず物知りだなー」
「ちなみに、内陸部は七月頃が一番暑いそうだよ」
病室からは遠くのほうに海が見える。
はちみつはおれから視線をそらして、ずっと窓の外を見ていた。
大きな蝶の髪飾りは花瓶の横に置いてある。
「ねぇ、四谷。……外に行きたい」
外に行ったら行ったで、直射日光を浴びるわけだから、すんごく暑い。
汗がだらだら流れるのは、みんみんとうるさく蝉が鳴いてるせいにした。
というか暑いのは苦手じゃなかったっけ。本人が望んだんだし、まあいっか。
病院の庭にある、日陰のベンチに腰掛けた彼は、よけいに病人っぽく見えた。
「あっづー。おい、長袖で大丈夫なのか?」
「大丈夫」
と言いつつ、袖を捲りだすはちみつ。
「でもまぁ、夏は嫌いかな」
「やっぱ嫌いなんじゃねーかよ……」
あ。と彼が指さした方向、病院の門の傍に、黒猫。
横切られた。わあ、不吉。
「黒猫に罪は無いのに、疎ましがられるのは可哀相だと思う?」
「知んねーよ」
猫に対し興味が沸いたらしいはちみつは、門の方に歩いていく。その背中をなんとなしに、ぼーっと眺めていた。無気力だった。
はちみつが猫を撫でると、そいつは逃げた。道路の方に。つられたように追いかけるはちみつ。
歩行者信号が赤に変わった。
そのあとすぐにトラックが通る――飛び出したはちみつを引きずって。
嫌な音がした。
は?
――嘘、だろ?
「 い―― ―― っ!」
思わず叫んだ自分の声も聞こえない。
向こう側は陽炎が揺らめいていた。線がずれたトラックの上で、道に倒れたままの彼の上で、踊るように。
「嘘じゃないぞ」
って。誰かが言うのが聞こえた。
目をさました。
やたらと蝉の鳴き声がうるさい。
右手を伸ばしてケータイを見ると、八月十四日の零時すぎ。
「やな夢を見たな……」
はちみつが気になった。
今日も病院に行く。
おれが訪れたとき、すでに彼は機嫌が良さそうで、「外に行きたい」と言った。
おれは夢を思いだしながら、ちょっと嫌な予感がして、なんとかベッドに押しこめようとする。
「触るな変態」
「てめーのほうが絶対変態だろ!?」
気味悪いほど蜂蜜大好きだし。虫大好きだし。やたら女っぽいし、大きな蝶の髪飾り付けて女装するし。あと女子の好みは変だし。
そうだ、ここで一応誓っておこう。
はちみつよりかわいい女子はいねえ。
「ねぇ、四谷……」
「なんだ、やっとおれと付きあう気になったか!」
こっちは本気なんだよ。
「いや違うよ。外に行きたい」
「さいですか……」
階段で手を繋ごうとしたらはたかれた。
鉄壁ガードだ。
やっぱり外は暑い。蝉の声も暑さを増すのに一役買ってるんじゃねーかってぐらい。
おれが自動販売機でジュースで買ってる隙に、はちみつはまたふらふらと庭を歩きまわる。
「おい、あんまり動くなよ――」
そう声をかけて手を伸ばしかけた。かすりもしない指先。陽炎のせいか、小さな背中は遠くに揺れて見える。
この後ろ姿はデジャヴだ。消えない嫌な予感。耳をふさぎたくなるほどうるさい蝉の鳴き声。
空から降ってきた鉄の塊が、はちみつに襲いかかる。
ありえないだろ。ふざけんな。
血が流れてしみこんでいく地面の上。楽しそうに陽炎はゆらゆらと揺れる。
はちみつはこっちを向いて倒れていた。
安心したように笑っていた。
目がくらみ、再び世界は暗転。目をさましたらベッドの上。
今日も八月十四日の零時すぎから始まる。
そして、午後十二時半ぐらいになると、はちみつは死ぬ。
突っこんできた車に轢かれ。古い大木が倒れてきて。足を滑らせ階段から転がり落ちて。
おれがあがくのをあざ笑うように陽炎は揺れていた。
いっそ病院へ行かなきゃいいのかとも思ったけど、毎度毎度気になってしかたないから行くことにする。
今度こそ外に連れ出さない――そう考えていたら、おれが病院の門をくぐった時点で、はちみつは病室の窓から飛び降りた。
くそったれ。どうにかできないのかよ。
そうだ。
なにも手段がないわけじゃなかった。
「でもまぁ、夏は嫌いかな」
もう何千回目と聞く言葉。
全ての行動言動表情に目を光らせていたら、怖い顔になっていたらしく「不良が睨んでくる」と言われた。
「あ、黒猫だよ。……横切ったね、」
「『黒猫に罪は無いのに不吉だと疎ましがられるのは可哀相だと思う?』だろ?」
いつもの台詞の続きを遮って。
おれは黒猫を追いかけるはちみつを押しのけて、赤信号に突っ込んだ。
痛い痛い痛い痛いたい痛いたいい痛いたい痛いたい痛いた痛いいい痛いたい痛い痛い痛痛痛いいいたいいたい痛いいいたいいたい。
横向きの世界で、はちみつが棒立ちになっていた。
そんな悲しそうな顔をするなよ。おれはお前が元気なら、それが一番いいに決まってんだよ。
おれがいなくてもはちみつは生きていける。きっと元気になって、新しい学校に行って、色んなこと勉強して、恋をして。幸せになれ。
相変わらず陽炎は揺れているが、今日は悔しそうに見えた。
もうすぐおれの夏休みは終わりを告げる。
「ざまあみろ」
もう声にもならない。
代わりに、精一杯笑ってみせた。
* * *
目を覚ました。
真っ白で無機質な病室のベッドの上で。
今は八月十四日の午前零時過ぎだろうか。
「……四谷は今日も来るかもしれないね」
僕は大きな蝶の髪飾りに触れて、蝉の声を聞いていた。
2012/6/6
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