朝早く来て、誰もいない教室で一人。
元織由良奈はその時間が好きだった。
決して一人が楽だとか、友達がいないとか、静かな場所が好きだとか、そういうわけではなく。
八時も過ぎると徐々に生徒が登校してくる。由良奈は、そんな彼らの様子を、窓際の席に座って眺める。
その席は、池健一のものだった。
名簿順、二番。体育が得意。勉強は少し苦手。あまり群れない。耳に心地良い低い声と、無愛想の中に垣間見る優しさ。
何か話すほど仲が良いわけでもないけど、そうなりたい。
そして、八時半のチャイムで、彼はようやく教室にやってくる。
その頃には由良奈はもう自分の席について、友達と喋ったり、机に突っ伏して寝たフリをしていたりする。
絶対彼に知られないように。
彼女の恋心を知る者は、多分、今のところ誰もいない。
* * *
池と出会ったのは、去年の春。由良奈が転校してきた日だった。
その日も朝一番にやって来ていた。まだ慣れない校内で、担任の先生を探して廊下を彷徨っていた由良奈に、
「職員室はあっちだぞ」
と。
目的地の方向を指差していた。
中学生にしては背が高くて、大きな手。背負っている細長い包みは、剣道部の文字入り。
その雰囲気に圧倒されたので、上級生かと思いきや、上靴の色は由良奈と同じだった。
「あ、ありがとう……」
由良奈の関西弁のイントネーションで、転入生だと気づいたのだろう。
「この学校、初めてか。あんた、朝早いんだな」
「……まだ慣れへんから、道覚えようと思って」
「そうか」
彼は、ぶっきらぼうに、でも由良奈の方を見て、「がんばれ」と言った。その後、体育館の方へ歩いて行く。どうやらクラブの朝練らしい。
小さくなっていくその後ろ姿を、ずっと見ていた。
* * *
由良奈が、池と同じクラスになったのは、三年生になってからだった。
こっちに引っ越してきて初めてできた友達――今は親友の、若園千尋も同じクラスだった。これから一年が希望に大きく膨らんだ。
「同じクラスになれて良かった、由良奈」
「うんうん! これからもよろしくな、千尋」
受験生なので、そこそこ勉強する。塾に通い始めた。
残してしまった塾の宿題は、昼休みに図書室でこなす。池は図書委員だった。時々顔を上げて、カウンターの方に目をやる。彼はずっと本を読んでいた。整った顔立ち。すっとした横顔が、かっこいいと思った。
夏休みに、千尋と一緒に、剣道部の試合を観に行ったこともあった。あまりルールは知らなかったものの、池の姿が見れるだけでも嬉しい。
「私、剣道の試合って初めて見たけど、何か沸いてきたかも」
「次はどんな絵描くん?」
「淡い感じかな……。まぁ、まだわかんないけれど」
由良奈は千尋の描く絵が好きだ。まるで自分の気持ちを、ストレートに表現してくれているみたいで。
家に帰れば、リスのアンがいて、毎日の疲れを癒してくれる。
生活は充実しているはずだった。
* * *
騒がしくなる昼休み。由良奈が教室で千尋と昼食を食べていると、ふと池のもとに円琉々が歩み寄るのが見えた。
「ねぇ、池君。今日の放課後、委員会あるから……」
「わかった」
「クラブ、忙しい?」
「いや。大丈夫だ」
そう。じゃあ、またね。
琉々の声は、由良奈にとって耳障り以外の何でもなかった。
彼女も池と同じ図書委員である。
「……むかつく」
小声で悪態づいたのが、千尋にも聞こえたらしい。
「え、由良奈、何か言った?」
「何でもないー。それよりうちのアンがさ」
「あ、由良奈ん家のリス?」
「昨日も脱走してん。ほんまにもう疲れるわー」
多少強引にでも話題を変えた。親友にも内緒にしているあたり、自分は人を信じていないんとちゃうか、と考えてしまう。
「でもかわいいんでしょ?」
「えへへー、まあな」
「この親ばか。今度見せてよね」
「うん。また写真持ってくるわ」
それでも、彼女の笑顔を見ていると、何だかほっとした。
恋愛運に恵まれないながらも、日々めげずに頑張れているのは、かわいいアンと、優しい千尋のおかげだと、由良奈は思う。
* * *
秋になって、由良奈のクラスに転入生がやってきた。
頭に大きな蝶の髪飾りを付けている男子だった。肩まである黒髪、細い体つき、色白い顔。
蜂蜜が大好物らしく、弁当の白ご飯にまでかかっているという噂だった。彼には『はちみつ』というあだ名が早々と付けられた。『変人』のレッテルと共に。
クラスの誰もが、気味悪がっているのかあまり彼に関わろうとはしなかったが、本人はあまり気にしていなさそうだ。
そんな中一人だけ、琉々だけが、彼と親しげにしていた。
「ねぇ、はちみつ。その蝶の髪飾り、可愛いね」
「ありがとう。琉々の髪飾りも可愛いと思うよ」
そしてまた、噂が立つ。はちみつは琉々のことが好き、だとか。
* * *
「ただいまー」
家に帰ると由良奈は、真っ直ぐに自分の部屋に行った。アンが待っていると思うと、制服を着替えるのももどかしい。
「あーもう、かわいいわあ」
アンはゲージの中で丸まっている。寝ているのだろうか。ぐるりと寝返りをうった。由良奈は水を替えながら、
「……円さんより、うちの方が絶対かわいいのに」
確実にはちみつは琉々に気があるだろう。これは、女の勘。
でも琉々は池とも仲が良さそうだ。池だけじゃない、彼女は誰とでも、相手が男子でも女子でも、それなりに人付き合いをする。大人しそうなタイプではあるけれども、友達も多そうだ。
ずるい、と思うのは、負け惜しみなんだろうか。
想いを寄せる人には声もかけられない自分と比較すると、悔しい。
「うちって、こんな性格悪かったっけ……なあ、アン」
ゲージの中のアンに声をかけても、返事は当然無かった。
* * *
もう二週間ほど、天気の悪い日が続いている。その日も雨。
放課後、下足室で忘れ物に気付き、由良奈は、千尋に「先帰っといて」と伝え、教室に戻った。
扉は開いていて、電気も付いている。
良かった、と安堵するも一瞬、扉の手前で立ち止まった。
中から、琉々とはちみつの話し声がしたから。
「……陸は変だよ。愛情が狂ってる。琉々だけがいればいい、って思ってるんだ……」
「私だけが?」
「……聞いて、琉々。僕は君が好きだ」
好奇心から思わず聞き耳を立ててしまった。
誰だか知らないけど、『陸』という人も琉々のことが好きなのか。円琉々に対して黒い感情が渦巻く。
由良奈は初心も置いて下足室に走った。
ほら、やっぱり。好きなんや。そのまま付き合ってしまえ。と。いくら悪態づいても、何も変わらない。
「円さんなんて、嫌いや……」
恐らく、彼女は大して悪くないだろう。
ただ、由良奈の好きな池と同じ図書委員なだけ。変な転入生に好かれただけ。そう言い聞かせても納得できない。
由良奈はそのまま靴箱の前にしゃがみ込み、嗚咽を漏らした。
いくら時間が経っても、雨の止む気配は無い。
「……元織さん?」
二人分の足音。琉々とはちみつのものだ。
琉々の声が、由良奈の頭上に降りかかった。
迂闊だった。下足室なんて場所、通らなければ帰れないのに。
泣いていたことがバレたくなくて、由良奈は顔を逸らした。
「……あんたはほんまにええよなあ」
「え?」
「池くんと、何の理由も無しに会えるやん。話せるやん。それやのにさ、はちみつとも仲良いし」
体も心も逸らし続けたまま、言葉を続けた。
我ながら、卑怯だと思う。
「……池くん取らんとってよ……」
喋る度に、墓穴を掘っているような気がした。多分二人はもうとっくに、由良奈が池のことを好きだということに気付いている。
「……君、さっきまでの僕に似てる」
「あんたと一緒にすんなや……!」
さっきまでのはちみつ。彼は、琉々に思いをぶつけて、どうなったのだろう。その結果は、今の由良奈にはわからないままだ。
「あの、元織さん。私、池君を取ってないし、取ったりしない。だから……安心してね?」
それじゃ何も解決しない、と由良奈は思った。
そんな由良奈を見透かしてか、琉々はしゃがみ込んで、訊ねた。
「元織さんは、池君と付き合いたいの? それとも『好き』って気持ちだけ?」
「何がわかんねん」
「何もわからないけど、わかりたいとは思う」
「……他人のくせに」
「池君が今いなくて良かったね」
「……円さん、案外性格悪いねんな」
琉々はそうかな、と、とぼけたように言って、あははと笑う。
由良奈はおもむろに立ち上がった。そこでなぜかはちみつと目が合ってしまい、また逸らす。
「元織さん、あなたはもう少し自分を信じたほうが良いよ」
「はあ?」
思わず琉々を睨んでしまった。
彼女はそれに臆する様子は見せず、靴を履き替えながら言う。
「理由も無しに池君に話しかけられないの、拒絶されたり、周りに変な噂が立ったりするのが怖いだけなんでしょう」
「殆どの女子はそんなもんやで?」
「言えばいいのに。私を憎むぐらい、彼のことが好きなら」
まるで独り言のように。聞かせる気などこれっぽっちもないように。
「じゃあね」
言うだけ言って、彼女は行ってしまった。青色の傘を差して。
残された由良奈とはちみつは、今度こそお互い目を合わせる。
「……池に好きだって言うの?」
「言わへんわ」
今は、まだ。
由良奈にそんな勇気は無い。
「……何であんたついてくんねん」
「君と帰る方向が一緒なんだから、仕方ない」
「……家、どこ」
「あのマンション」
「嘘お、一緒やん……」
そのまま成り行きで、由良奈とはちみつの二人は一緒に帰ることになった。
「僕は琉々に、好きだって言ったよ」
「……うん。ごめん、それは盗み聞きしてもうた」
「ふーん。まぁ、いいけど。忘れ物でもしたの?」
「そうやねんけど、別に構へん」
「あの後琉々の歌も聴いた?」
「……それは知らんわ。あの人、歌ったん?」
「うん。僕の大好きな歌を」
こうして改めて話してみると、やっぱりはちみつはどこか変だ、と由良奈は思う。あと琉々も、変な人。
でも、噂ほど気味悪い人でもなさそうだ。
由良奈は、明日の朝一番、千尋に言おうと決めた。
池のことが好きだってこと。
もしかすると、彼女ならもう気付いているのかもしれない。
それでも、少しずつ何かは変わるかもしれないから。
元織由良奈はその時間が好きだった。
決して一人が楽だとか、友達がいないとか、静かな場所が好きだとか、そういうわけではなく。
八時も過ぎると徐々に生徒が登校してくる。由良奈は、そんな彼らの様子を、窓際の席に座って眺める。
その席は、池健一のものだった。
名簿順、二番。体育が得意。勉強は少し苦手。あまり群れない。耳に心地良い低い声と、無愛想の中に垣間見る優しさ。
何か話すほど仲が良いわけでもないけど、そうなりたい。
そして、八時半のチャイムで、彼はようやく教室にやってくる。
その頃には由良奈はもう自分の席について、友達と喋ったり、机に突っ伏して寝たフリをしていたりする。
絶対彼に知られないように。
彼女の恋心を知る者は、多分、今のところ誰もいない。
* * *
池と出会ったのは、去年の春。由良奈が転校してきた日だった。
その日も朝一番にやって来ていた。まだ慣れない校内で、担任の先生を探して廊下を彷徨っていた由良奈に、
「職員室はあっちだぞ」
と。
目的地の方向を指差していた。
中学生にしては背が高くて、大きな手。背負っている細長い包みは、剣道部の文字入り。
その雰囲気に圧倒されたので、上級生かと思いきや、上靴の色は由良奈と同じだった。
「あ、ありがとう……」
由良奈の関西弁のイントネーションで、転入生だと気づいたのだろう。
「この学校、初めてか。あんた、朝早いんだな」
「……まだ慣れへんから、道覚えようと思って」
「そうか」
彼は、ぶっきらぼうに、でも由良奈の方を見て、「がんばれ」と言った。その後、体育館の方へ歩いて行く。どうやらクラブの朝練らしい。
小さくなっていくその後ろ姿を、ずっと見ていた。
* * *
由良奈が、池と同じクラスになったのは、三年生になってからだった。
こっちに引っ越してきて初めてできた友達――今は親友の、若園千尋も同じクラスだった。これから一年が希望に大きく膨らんだ。
「同じクラスになれて良かった、由良奈」
「うんうん! これからもよろしくな、千尋」
受験生なので、そこそこ勉強する。塾に通い始めた。
残してしまった塾の宿題は、昼休みに図書室でこなす。池は図書委員だった。時々顔を上げて、カウンターの方に目をやる。彼はずっと本を読んでいた。整った顔立ち。すっとした横顔が、かっこいいと思った。
夏休みに、千尋と一緒に、剣道部の試合を観に行ったこともあった。あまりルールは知らなかったものの、池の姿が見れるだけでも嬉しい。
「私、剣道の試合って初めて見たけど、何か沸いてきたかも」
「次はどんな絵描くん?」
「淡い感じかな……。まぁ、まだわかんないけれど」
由良奈は千尋の描く絵が好きだ。まるで自分の気持ちを、ストレートに表現してくれているみたいで。
家に帰れば、リスのアンがいて、毎日の疲れを癒してくれる。
生活は充実しているはずだった。
* * *
騒がしくなる昼休み。由良奈が教室で千尋と昼食を食べていると、ふと池のもとに円琉々が歩み寄るのが見えた。
「ねぇ、池君。今日の放課後、委員会あるから……」
「わかった」
「クラブ、忙しい?」
「いや。大丈夫だ」
そう。じゃあ、またね。
琉々の声は、由良奈にとって耳障り以外の何でもなかった。
彼女も池と同じ図書委員である。
「……むかつく」
小声で悪態づいたのが、千尋にも聞こえたらしい。
「え、由良奈、何か言った?」
「何でもないー。それよりうちのアンがさ」
「あ、由良奈ん家のリス?」
「昨日も脱走してん。ほんまにもう疲れるわー」
多少強引にでも話題を変えた。親友にも内緒にしているあたり、自分は人を信じていないんとちゃうか、と考えてしまう。
「でもかわいいんでしょ?」
「えへへー、まあな」
「この親ばか。今度見せてよね」
「うん。また写真持ってくるわ」
それでも、彼女の笑顔を見ていると、何だかほっとした。
恋愛運に恵まれないながらも、日々めげずに頑張れているのは、かわいいアンと、優しい千尋のおかげだと、由良奈は思う。
* * *
秋になって、由良奈のクラスに転入生がやってきた。
頭に大きな蝶の髪飾りを付けている男子だった。肩まである黒髪、細い体つき、色白い顔。
蜂蜜が大好物らしく、弁当の白ご飯にまでかかっているという噂だった。彼には『はちみつ』というあだ名が早々と付けられた。『変人』のレッテルと共に。
クラスの誰もが、気味悪がっているのかあまり彼に関わろうとはしなかったが、本人はあまり気にしていなさそうだ。
そんな中一人だけ、琉々だけが、彼と親しげにしていた。
「ねぇ、はちみつ。その蝶の髪飾り、可愛いね」
「ありがとう。琉々の髪飾りも可愛いと思うよ」
そしてまた、噂が立つ。はちみつは琉々のことが好き、だとか。
* * *
「ただいまー」
家に帰ると由良奈は、真っ直ぐに自分の部屋に行った。アンが待っていると思うと、制服を着替えるのももどかしい。
「あーもう、かわいいわあ」
アンはゲージの中で丸まっている。寝ているのだろうか。ぐるりと寝返りをうった。由良奈は水を替えながら、
「……円さんより、うちの方が絶対かわいいのに」
確実にはちみつは琉々に気があるだろう。これは、女の勘。
でも琉々は池とも仲が良さそうだ。池だけじゃない、彼女は誰とでも、相手が男子でも女子でも、それなりに人付き合いをする。大人しそうなタイプではあるけれども、友達も多そうだ。
ずるい、と思うのは、負け惜しみなんだろうか。
想いを寄せる人には声もかけられない自分と比較すると、悔しい。
「うちって、こんな性格悪かったっけ……なあ、アン」
ゲージの中のアンに声をかけても、返事は当然無かった。
* * *
もう二週間ほど、天気の悪い日が続いている。その日も雨。
放課後、下足室で忘れ物に気付き、由良奈は、千尋に「先帰っといて」と伝え、教室に戻った。
扉は開いていて、電気も付いている。
良かった、と安堵するも一瞬、扉の手前で立ち止まった。
中から、琉々とはちみつの話し声がしたから。
「……陸は変だよ。愛情が狂ってる。琉々だけがいればいい、って思ってるんだ……」
「私だけが?」
「……聞いて、琉々。僕は君が好きだ」
好奇心から思わず聞き耳を立ててしまった。
誰だか知らないけど、『陸』という人も琉々のことが好きなのか。円琉々に対して黒い感情が渦巻く。
由良奈は初心も置いて下足室に走った。
ほら、やっぱり。好きなんや。そのまま付き合ってしまえ。と。いくら悪態づいても、何も変わらない。
「円さんなんて、嫌いや……」
恐らく、彼女は大して悪くないだろう。
ただ、由良奈の好きな池と同じ図書委員なだけ。変な転入生に好かれただけ。そう言い聞かせても納得できない。
由良奈はそのまま靴箱の前にしゃがみ込み、嗚咽を漏らした。
いくら時間が経っても、雨の止む気配は無い。
「……元織さん?」
二人分の足音。琉々とはちみつのものだ。
琉々の声が、由良奈の頭上に降りかかった。
迂闊だった。下足室なんて場所、通らなければ帰れないのに。
泣いていたことがバレたくなくて、由良奈は顔を逸らした。
「……あんたはほんまにええよなあ」
「え?」
「池くんと、何の理由も無しに会えるやん。話せるやん。それやのにさ、はちみつとも仲良いし」
体も心も逸らし続けたまま、言葉を続けた。
我ながら、卑怯だと思う。
「……池くん取らんとってよ……」
喋る度に、墓穴を掘っているような気がした。多分二人はもうとっくに、由良奈が池のことを好きだということに気付いている。
「……君、さっきまでの僕に似てる」
「あんたと一緒にすんなや……!」
さっきまでのはちみつ。彼は、琉々に思いをぶつけて、どうなったのだろう。その結果は、今の由良奈にはわからないままだ。
「あの、元織さん。私、池君を取ってないし、取ったりしない。だから……安心してね?」
それじゃ何も解決しない、と由良奈は思った。
そんな由良奈を見透かしてか、琉々はしゃがみ込んで、訊ねた。
「元織さんは、池君と付き合いたいの? それとも『好き』って気持ちだけ?」
「何がわかんねん」
「何もわからないけど、わかりたいとは思う」
「……他人のくせに」
「池君が今いなくて良かったね」
「……円さん、案外性格悪いねんな」
琉々はそうかな、と、とぼけたように言って、あははと笑う。
由良奈はおもむろに立ち上がった。そこでなぜかはちみつと目が合ってしまい、また逸らす。
「元織さん、あなたはもう少し自分を信じたほうが良いよ」
「はあ?」
思わず琉々を睨んでしまった。
彼女はそれに臆する様子は見せず、靴を履き替えながら言う。
「理由も無しに池君に話しかけられないの、拒絶されたり、周りに変な噂が立ったりするのが怖いだけなんでしょう」
「殆どの女子はそんなもんやで?」
「言えばいいのに。私を憎むぐらい、彼のことが好きなら」
まるで独り言のように。聞かせる気などこれっぽっちもないように。
「じゃあね」
言うだけ言って、彼女は行ってしまった。青色の傘を差して。
残された由良奈とはちみつは、今度こそお互い目を合わせる。
「……池に好きだって言うの?」
「言わへんわ」
今は、まだ。
由良奈にそんな勇気は無い。
「……何であんたついてくんねん」
「君と帰る方向が一緒なんだから、仕方ない」
「……家、どこ」
「あのマンション」
「嘘お、一緒やん……」
そのまま成り行きで、由良奈とはちみつの二人は一緒に帰ることになった。
「僕は琉々に、好きだって言ったよ」
「……うん。ごめん、それは盗み聞きしてもうた」
「ふーん。まぁ、いいけど。忘れ物でもしたの?」
「そうやねんけど、別に構へん」
「あの後琉々の歌も聴いた?」
「……それは知らんわ。あの人、歌ったん?」
「うん。僕の大好きな歌を」
こうして改めて話してみると、やっぱりはちみつはどこか変だ、と由良奈は思う。あと琉々も、変な人。
でも、噂ほど気味悪い人でもなさそうだ。
由良奈は、明日の朝一番、千尋に言おうと決めた。
池のことが好きだってこと。
もしかすると、彼女ならもう気付いているのかもしれない。
それでも、少しずつ何かは変わるかもしれないから。
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