1.僕と真琴と美鈴と四谷

 母さんは友達ができるかどうかを心配していたようだけど、僕にとってそんなことはどうでも良かった。
 つまりは、学校なんて人生の通過点でしかないのだから。大人しく勉学に励もうとしていた。
 私立紅薔薇中学校。F組。理系特進。確かにそこは、それが叶うクラスのはずだった。

  * * *

「やあ、おはようはちみつ。今日もいい天気だね。体育にはちゃんと出席するんだよ? ああそういえば、放課後に物理を教えてくれないか。ボクも美鈴も次の考査が危ういんだ」
 教室に入って開口一番、鞄も下ろさず僕の顔を見るなり、海袖真琴はそう捲し立てた。クラスでも随一の威力と精度を誇るマシンガントーク。
 双子の妹、海袖美鈴は真琴の背中に隠れつつ、僕の顔を窺っている。
「あぁ……うん、物理だったら、大丈夫」
「本当かい? ありがとうはちみつ。やっぱりキミはボクらの恩人だよ!」
「……まだテストも終わってないのに、喜ぶのは早いと思うな……」
 僕の呟きを他所に、真琴と美鈴は手を取り合って喜んでいた。

 もうすぐ前期の中間考査が迫っている。教室中がピリピリとしているのが肌に伝わる。
 そんな状況でも、双子だけはいつも楽しそうに一緒にいた。
 何でも喋る饒舌な真琴と、全く語らない無口の美鈴。絵に描いたように正反対な気質。双子のわりには容姿もかなり違う。
 僕にとって、唯一友達と呼べる存在かもしれない。

「行こう、はちみつ。今日の体育は、男子はサッカーらしいよ」
「……真琴が嬉しそうに言うのが嫌だなぁ」
「いいかい、逃げるなよ。いつもジャージを着て登校しているくせに。はちみつは変だね。キミの制服姿なんて、入学式以来見ていないような気がするけど?」
「先生にはもう何も言われなくなったよ」
「成程、キミが成績一番だからかな。全く、羨ましいものだね」
 そう言う真琴は学ランが似合う。すらりとした長身で、勉強もできてスポーツもそれなりにできる。
 誰にでも友好的な性格の真琴は、既にクラスの中心に君臨していた。
 その後ろにいる美鈴も受け入れてもらえている。マスコット的存在だ。
「そうそうはちみつ、髪、また伸びたんじゃないかい? 美鈴、彼に髪ゴムを貸してあげて」
「わかったわ……はい、真琴」
 美鈴から真琴へ、真琴から僕へと黒い髪ゴムが渡る。
「いい加減ボクを介すのも面倒くさく感じるぐらいに、ボクらは親睦を深めたものだね!」
「僕はまだ一回も美鈴に話しかけてもらったことはないんだけど……」
 美鈴は決して真琴以外と言葉を交わさない。重度の恥ずかしがり屋、と真琴は彼女のことを紹介した。
 腰まである長くて綺麗な髪に、大きな蝶の髪飾り、真琴と会話する時だけに聞くことのできる鈴のような声。非常に愛くるしく魅力満点で、はっきり言って男子からは大人気だ。
 しかし浮ついた噂は全く無い。
 というのも――あの二人は既に恋人関係にある。
 それを知っているのは、このクラスでは多分僕だけだろう。
 傍目から見れば、ただ仲のいい『双子』なのだから。

「はちみつがボクらの関係をわかってくれている上で黙ってくれている、だなんて、何て有難いことだろう!」
「真琴、さっきから喋ってばかりいないで、物理をやろうよ。テスト範囲の問題は全部終わったの?」
「今やっているさ。ほら、もうこんなに手が真っ黒になってしまった。……そうだはちみつ、テストが終わったらクラスの子とカラオケにでも行こう。キミがいれば、きっと楽しくなる」
「それは遠慮しておこうかな」
 クラスの人の顔と名前はとりあえず覚えたけど、それだけで仲良くなれるわけがない。

「……あのね、真琴、私、ここがわからないのよ。教えて頂戴」
 白い指先で問題書の一部を指す美鈴。その相手は僕ではなく、いつも真琴だ。
「ボクじゃなくてはちみつに言ってみたらどうだい?」
「……っ」
 美鈴は恥ずかしがって俯く。髪が彼女の顔を隠す。
 いつまでもこうして避けられているので、教える側にとっては正直辛かった。

  * * *

 いつも、授業が始まると、隣の席の四谷蒼央はすぐに机に突っ伏す。
 今日は僕の方に顔を無防備に向けて寝ていた。
 左頬に貼られた大きなガーゼ。彼は常時どこかに怪我をしている。口も悪く素行も悪く、髪も様々な色に染めるし、良くないことを聞く。
 駅前のコンビニに屯っているとか。家はやくざだとか。兄は不良集団の頭領だとか。根も葉もない噂だと僕は信じていたいところだ。

 この間はとても機嫌が悪く、美術の授業で若い女の先生にガンを飛ばし続けた結果泣かせてしまった。
「ああ……さっきの四谷は怖かったね。何だかボクまで彼の眼力で泣きそうになってしまったよ。美鈴を脅かす存在をボクは許さないけれど、彼に勝てるのかどうか自信は無いね」
「何も真琴一人でどうこうできる問題ではないと思うし、そもそも四谷は美鈴のことは狙っていないんじゃ……」
「甘いよはちみつ! そんな考えを持っていたら、誘拐犯が何人居ても足りないよ!」
 あぁ、そうか。
 進学系のこの私立中では、所謂良い所のお坊ちゃまお嬢様も少なくない。海袖家も確か父親が立派な実業家で裕福な家庭だと聞いた。
 真琴と美鈴がずっと二人一緒でいるのには、恋人である以外にも、そういう意味があるのかもしれない。

 お弁当の特製蜂蜜おにぎりを頬ばっていると、珍しく真琴が難しい顔をして僕に言った。 
「……四谷はどうやら家庭内で上手くいっていないみたいだよ」
「どうして真琴がそんなことを知ってるの?」
「彼に直接聞いたんだ。どうしていつも一人でいるのか、と」
 流石真琴だった。僕には到底できない。元々面倒くさいことに首は突っ込みたくない性分だ。感心する。
「途中まではふてぶてしくもきちんと答えてくれたのだが……最後には『仲の良いてめーらに何がわかんだよ』と怒鳴られてしまってね。やっぱりボクは彼から美鈴を守らなければならないようだ」
 謎の使命感に燃えている真琴を止めるべきなのだろうか。
 美鈴は真琴の後ろで苦笑いをしている。きっとよくあることなのかもしれない。『美鈴に近寄る変な虫は全て追い払っている』とか、真琴ならやりかねない。

 ある英語の授業で、隣の人とノートを交換して、自分で予習してきた日本語訳を採点しなさいと言われた。
 僕はいつも通り一人でチェックしようとした。ら、右肩にコンコンとぶつかる、青いノート。
 鋭い目が真っ直ぐこっちを見ている。
「おいごるぁ、なんか文句あんのかよ?」
「……あぁ……起きてたんだ……」
 それが彼と交わした最初の言葉だった。

「四谷には彼女がいるそうだよ」
「……また話しかけに行ったの?」
「うん。話せば、そんなに悪い人じゃないとわかったんだ。美鈴と同じで、彼は人見知りなんだよ。多少乱暴なところがあるだけさ。……尤も、それが彼がこのクラスで浮いている理由でもあるんだけどね」
 みんな僕と同じで、面倒くさいことに首は突っ込みたくないのだろう。そんなことをしている暇があれば、勉強したり習い事やクラブに力を入れるような学風だ。
 こんなにお節介なのは真琴ぐらいしかいない。
「今度彼の恋愛相談に乗ってあげることになったんだ。はちみつも、何か困った事があれば気軽に言ってくれ」
 それにしてもこんな短期間で随分と仲良くなるだなんて。真琴は一体何者なんだろう。

  * * *

 中間考査が終わると、体育の授業ではプールが始まる。もう夏がすぐそこまで来ていた。
 僕は低気圧が原因と思われる頭痛を理由にして見学。女子はともかく、男子の見学者は少ない。今日は僕と四谷だけだった。
「……四谷は、その怪我で?」
 彼の左手首には包帯がぐるぐると巻かれている。体操服の袖から剥きだしになった腕は意外と白い。
「……あんまじろじろ見んじゃねー」
「うん、ごめん」
 その日の会話はそこで途絶えた。

 だけどそれから、何となく、プールの授業の時は四谷と話すことが増えた。
 四谷はいつもプールの授業を見学していた。
 教室だと寝ている彼も、好きなのだろう、体育の時間はばっちり目が覚めている。泳いでいる級友達を眺めながら見学レポートに熱心に取り組んでいた。
「なあなあ、ちょい見せろや」
「いいよ。どこかわからないところが?」
「ここってなにしてた?」
「先生が腕の動きについて説明していた。水を手の平で押すイメージらしいよ」
 物言いがぶっきら棒なだけで、僕がプリントを渡すと、受け取る手は優しい。
 真琴の言っていたことは本当のようだ。
「あんがとな」
「どういたしまして」

 僕がプールに入る日は、四谷は不機嫌そうだった。
「てめーがいないとなに書いていいかわかんねーんだよ」
「僕は君のパシリか……」
「やっ、違うけどさ、なんつーか……ああもうわかんねー」
 頑張れ四谷。僕無しでも見学できるようになってくれ。
 いつからか、遂に四谷までも僕のことを『はちみつ』と呼んでいた。教室では殆ど話さない、けれど、彼も僕の友達と呼べるのだろう。
 少なくとも僕にとっては友達だ。

「海袖の妹の方って超かわいいよなー」
「あ、それはやめておいたほうがいいと思うけどなぁ」
 F組最強のシスコンがハエ叩きを持って僕らの方に歩いてくるのが見える。

「ねぇ、四谷」
「あー?」
「今度一緒に勉強会しようよ。君が居たら、きっと楽しくなる」
 少しだけ、真琴の真似をしてみた。精一杯の背伸び。
 僕は多分真琴に憧れている。

  * * *

 毎日学校に行くのが、毎日学校で彼らと関わるのが、楽しい。
 何もクラスメート全員とやっていこうだなんて、真琴じゃないから到底できない。それはきっと美鈴も四谷も。
 だからこそ、僕らは惹かれ合ったのかもしれなかった。

 いつも真琴の後ろにいる、美鈴。可憐で美しく、無口な少女。
 勉強会も回を重ねるにつれ、やっと僕の方に笑顔を向けてくれるようになった。単に言葉を伝えるのが恥ずかしいだけだった。そして彼女は表情を惜しまなくなった。
 問題がわからないらしく、困ったように僕を見る。真琴ではなくて、僕を頼っている。この瞬間だけは。

 僕は美鈴のことが、好きになってしまったらしかった。
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