2.僕と四谷と梓川さんと四谷先輩

 二年生になって、クラスの輪はますます深まっていくというのに、未だに僕は真琴と美鈴と四谷ぐらいとしか付き合いがない。

「来年度、普通クラスから女子が一人、この教室に来るらしいよ。一体どんな子なんだろうねえ。可愛いかな? まあ、美鈴よりも可愛いことはないだろうけどね。この学校は基本的にクラス替えがないから、きっといい刺激になるだろう。ぜひ友達になりたいものだ」
「ちょっと、真琴。私より可愛い女の子はたくさんいるのよ」
「ははっ。言いたいことはそれだけかい、美鈴? そんなところで謙遜することはないさ。ボクの自慢の妹なのだから、もっと自信を持つんだよ。はちみつも何か言ったらどうだい? 美鈴は照れて何も返さないかもしれないけど」
「僕が美鈴を褒めたら褒めたでややこしくなるからやめておくよ……」
 ついうっかりまずいことを口走って、近寄る虫扱いされるのはごめんだ。例えば、好き、だとか。

 例の子は梓川雪華という名前だった。
 真琴の情報網によるとどうやら、四谷の彼女、らしい。

 梓川、といえば製薬系で何か聞いたことがあるような気がする。
 良家の子だろう。仕草の一つ一つ品がよく、セミロングの髪をハーフアップにまとめていて、全体的にふんわりとした印象を受けた。かといって大人しいわけでもなさそうで、四谷とはよくサイクリングやテニス等のデートに出かけるという。アクティブだ。
「しかしまあ、あのクラス一問題児の四谷の彼女がまさかこんなにお嬢様だとはね。キミたち一体どういう経緯で付き合ったんだい?」
「それはね、わたしが蒼央君に告白したのっ。蒼央君はね、悪い人に連れて行かれそうになったわたしを助けてくれたの、とってもかっこよかったの!」
「たまたまだっつーの」
「……四谷って意外に優しいんだね……」
 四谷があんなに幸せそうに笑うのを、僕は初めて見たかもしれない。
 二人並んでみると、背の高い四谷と、対照的に低い梓川さん。ガラの悪い四谷と、対照的にお嬢様な梓川さん。
 このデコボコ具合が案外うまく作用して、お似合いに見えてくるから不思議だ。
「えっと、はちみつ君と、真琴君と、美鈴さん。よろしくお願いします。わたしの事は、『せっちゃん』って呼んでもいいのよ」
「上から目線な挨拶どうもありがとう。ボクもキミとは仲良くしたいな、せっちゃん。もし勉強で困ったことがあれば、いつでもはちみつに尋ねるといい。彼はこの学年で一番頭がいいのさ」
 厳密に言えば普通クラスと文系特進クラスと理系特進クラスではテストの内容が違うので、学年で一番ではない。あくまでもクラスで一番だ。
 と訂正することにはもう疲れた。
 上流社会と戯れる必要のない庶民は勉強時間が豊富にあるんだ、と皮肉を言ってやりたい。
「えっ、がっ、学年で一番なの? 素晴らしいのね!」
「素晴らしいかは別として……ちなみに梓川さん、四谷は最下位だよ。学年一番のこの僕が全力で勉強を教えても」
「るせえ!」
 ぽか、と頭にげんこつが飛んでくる。相変わらず暴力的な男だ。
 梓川さんはこんな男のどこがいいのだろう。あまりにも勢いで付き合っているようにしか見えない。
 それでも傍から見る分には、仲は良さそうだった。
 今年度から二人で一緒に下校しているというし、梓川さんは四谷に頭のてっぺんからつま先まで惚れこんでいるようだし、四谷も四谷で眉を下げて笑顔を見せたりなんかしている。こんな風に笑える人だとは知らなかった。恐るべき恋の力。
 週末の話題になってしまうと、恋人のいない僕はどことなく肩身が狭くなる。
 頼むから色恋話は他所でやってほしい。
 もっとも、双子の関係は周囲には内緒なのだけど。

 梓川さんは持ち前の明るさや活発性から、すぐに打ち解けた。普通クラスからの編入ということで、勉強は多少厳しそうに見えたものの、いつものメンバーで勉強会を開いて凌ぐ。
 真琴のコミュニケーション能力も相俟って、ずっと怖がられていた四谷すらいつの間にかクラスに馴染んでいた。

  * * *

 期末考査が終わり、あと数回の登校日で夏休みに入る頃だった。
 その日は真琴もプールの授業を見学していた。
 僕と四谷と、三人でメモを取りながら雑談する。
 話題が美鈴と梓川さんの可愛さ対決に傾きかけたところで、四谷は「そういえば」と切り出した。
「最近あにきがストーカーにつきまとわれてんだって。家でずっと愚痴ってた」
「ストーカー? そうなのかい。まあ、確か四谷埜愛は可愛くて美人なことで有名だから、きっとモテるのだろう。しかし恋人は作ったことがないとも聞くね……それで恨みでも買われたのかな、大変だね。よし、ボクで良ければ力になろう。ああ、親の権力は期待しないでくれよ」
「だれが親に頼めっつったよ?」
 真琴は四谷のお兄さんのことも知っているのか。といちいち驚くのにも疲れてきた。
 よつやのあ。名前からして女の子みたいだ。などと僕が言えたことではないけれど。
 確か理系特進クラスの上級生に四谷の兄がいるという噂を聞いたことがある。不良集団の頭領とか、去年の文化祭においてミスコンで優勝したとか。
「どうやらボクの周りには、美鈴にはちみつにせっちゃん、少し離れるが四谷のお兄さんといい、美人が集まるようだねえ。ははっ。いつかハーレムにでもなるのかな。……ボクだったらはちみつのファンになってしまうよ。こそこそ後をつけてしまうぐらいにね」
 さらっとそんなことを言わないでほしい。髪を引力に任せるままぼさぼさに伸ばした男子中学生の後ろなど、誰がつけるというのだろう。せいぜい児童保護目的のおまわりさんぐらいじゃないだろうか。
 僕は頭を抱えた。
「そうだ、四谷。恋人がいるフリをするのはどうだい? ボクが協力してあげるよ」
「すずを貸してくれんの!?」
「キミの考えは全く安直だね。そんなわけないだろう」
 ケチ、と四谷は口をすぼませた。
「はちみつだよ」

 その作戦はどうかと自分でも思うけれど、真琴の口車にうまく乗せられてしまって後にはひけなくなってしまった。最初は僕が女装をする手筈に導かれそうになったが、妥協に妥協を重ね、結局ボディーガードとして一緒に下校することに。四谷も一緒だ。人は多いほうが安心なものだ。
「雪華、わりい。今日は一緒に帰れねーわ」
「そのこと、まこちゃんから聞いたの。お兄さんのためなのよね」
 四谷はばつが悪そうな顔をする。あまり言いふらしてほしくなかったのだろう、曖昧に頷いて、クラスメートと楽しそうに談笑している双子の方へ乗り込みに行ってしまった。きっと声を荒げてしめにかかるに違いない。真琴、ご愁傷様。
 とはいえ真琴も格闘技を習っている身なので、二人の力関係は拮抗している。多分。
「……はちみつ君、わたしもついていったら、駄目なの?」
「梓川さんは来ない方がいいんじゃないかな……」
 脳内で、四谷と梓川さん、そして僕とまだ見ぬ四谷先輩という下校構図ができあがってしまったので、そう答えてしまった。いやそれこそ真琴が最初に言っていた作戦に近いかもしれない。
 僕に言われてしまって、梓川さんはそうなの、と寂しそうにほほ笑む。
 でも彼女は意外と行動力があるので、もしかしたらついてくるかもしれない。

 放課後、僕と蒼央は三年生の階に向かった。理系特進クラス。その教室の廊下側の座席に彼はいた。
「あにきー!」
 四谷が呼ぶと、その人物は嫌そうにこちらを見る。
「……それ、また新しい彼氏?」
 僕を指さして。いきなり『それ』呼ばわりされた。四谷と一緒にいるだけで彼氏とは、どういう思考回路をしているのだろう。
 ふわふわの長い黒髪に、まつ毛が長くてぱっちりした目。赤色の眼鏡をかけていて、弟と違って頭が良さそうに見える。肌は透き通るように白くて、捲った袖から伸びる腕が眩しい。身長は僕や四谷と同じぐらいだろうか。成程、真琴の言う通りだった。これは可愛くて美人だ。
 とても夜の町に繰り出して夜な夜なバイクを乗り回して挙句路地裏で暗躍しているなどという噂が流れているとは思えない。
「はー? ちげーよ。クラスのダチ。つーかさ、今日一緒に帰ろうぜ」
「なんで中三にもなっててめえと一緒に帰んなきゃなんねえの?」
 ――見た目に反して口は悪いらしい。
「あにきだって一人は心ぼせーだろーが!」
「でけえ声出すな、蒼央の馬鹿。……わかったよ」
 先輩は観念したように、四谷と手を繋いだ。それがあまりにも自然な流れだったので、僕は何も言わなかった。
 仲の良い兄弟なのだろう。僕はまた、四谷の新たな一面を知った。
 あれ。でも、以前真琴は四谷について『家庭内でうまくいっていない』と言っていなかっただろうか。その問題は、もしかしたらもう解決しているのかもしれない。プライベートなことだから、下手に話しかけたりしないで、なるべく深入りしないようにしよう。

 帰り道は誰も口を開かなかった。四谷と先輩はずっと手を繋いだままで。どことなく居場所がないように感じられる。
 時折ストーカーらしき人物がいるのかどうか、辺りを見回してみたけれど誰もいない。たまたまかもしれない。
 僕は終ぞ先輩と会話することなく、二人とは駅で別れた。

  * * *

 次の日、四谷は昼休みに学校に来た。彼が遅刻するのはいつものことだった。
 ただ一緒にお昼を食べていた梓川さんの顔色が、青くなって――それから赤くなった。どうしたのだろう。お弁当とお箸を机の上に置いて、教室のドアのところで四谷の前方を塞ぐように立ちはだかった。四谷は鞄をそのまま床に置く。
「雪華?」
 四谷が訝しむのも無理はない。後姿からでもよくわかる――彼女は細い肩を震わせて泣いていた。嗚咽の声が、それまで賑やかだった教室を静かにさせる。スピーカーから流れる流行のアイドルの曲が浮いているように聞こえた。
「おい、雪華、なんで泣いてんだよ……?」
「ぇっ、ひく……ぅっ、蒼央君の……」
 教室にいた全員が現場を見守る中、梓川さんが涙を拭い、大きく息を吸う。
「……馬鹿! わたし、昨日、帰り、駅で見たの! ……あ、蒼央君が、蒼央君が……男の人と、キスしていたのを!」
 空気が凍り付く、というのを、初めて体験した。決して彼女の声が多すぎたというわけではないだろう。その言葉が持つ意味を、探して。誰も動かない。誰も声を発さない。
 四谷は眉間にしわを作った。
「信じられない! 最低! 最低よ!」
 怒声が響く。開けっ放しのドアから廊下まで反響した。
 クラスメートが徐々に小声で囁きだす。二人を気の毒そうに見る。
 僕と真琴と美鈴は黙ったままだった。
「わ、わたしとは、できないって言ったのに……! あああ! も、もう、嫌、嫌なのおっ! 今日、考えないようには、していたの! でもお……っ、会った、ら、やっぱり……!」
「雪華、落ち着けって……」
「触らないで! ……あ、ぁ……っ」
 四谷の手を振り払って、梓川さんはまた泣きじゃくる。一人の女子が彼女に近づいて名前を呼んだけど、無視された。諦めたように元いたグループの場所へ戻っていく。
「……雪華、それは」
「な、……言い訳する気……?」
「ちがっ……」
「蒼央君……なんて……っ、死ねばいい……!」
 その言葉で四谷の表情から血の気が失せた。
 次の瞬間、何が起こったのか、僕には理解できなかった。あっという間の出来事。
 四谷が「そっか」と小さく呟いたと思えば、鞄の中からナイフを取り出し、左腕のリストバンドをずらした。そして、右手を振り下ろす。
 ぼたた、と真っ赤な血が床に滴り落ちた。女子達の甲高い悲鳴。その中では梓川さんのものが一番よく聞こえた。からん。四谷の手からナイフが滑り落ちて、血だまりに落ちていく。左腕からはまだ血が流れていて。
「はちみつ! 何を呆けて見ているんだ、早く四谷を保健室に連れて行って! ボクはせっちゃんの方を……!」
 真琴の叫び声で我に返る。言われるがままに、立ち上がった。背中に手が当てられる。美鈴の手だった。
 僕は、四谷の右腕を引っ掴んで、ただがむしゃらに廊下を走った。
 保健室のドアをノックもせずに開ける。
「……先生、四谷が、四谷が……」

 それからのことはよく覚えていない。
 どうやら自分で思っていた以上にショッキングな出来事だったらしく、そのまま保健室で寝込んでいた。
 意識がはっきりとしてきて起き上がると、四谷の姿は既になく、先生に訊ねると既に早退したという。五時間目が終わる頃で、もうしばらく休んでいなさいと言われた。その言葉に甘えて、また目を閉じる。
 まどろみの中でチャイムの音を数えた。

 話し声で再び目を覚ました。真琴の声だ。先生と話している様子。恐らく美鈴も近くにいるだろう。
「おや、はちみつ。目が覚めたかい?」
 衣擦れの音で気づいたらしい。真琴がカーテンを開けてくれた。後ろにはやっぱり美鈴もいた。
「ほら、キミの鞄だ。お弁当箱は蓋を閉じて中に入れたよ、それから、蜂蜜の瓶も。もう放課後さ。……具合はどうかな? 帰れそうかい?」
 僕自身どこも悪いところはないので、頷く。ずっと心配してくれていたようで、僕の反応を見て二人の顔に安堵の笑みが浮かんだ。
「今日は一緒に帰ろう。いいね?」
「うん……二人とも、ありがとう」

「学校がキミの家に電話をかけたそうだが、繋がらなかったらしい。お家の人は……」
「あ、多分仕事だ」
「そうか。……せっちゃんも早退したよ。あの後は」
 最悪だった、と。ぼやくように、吐き捨てるように、真琴は言った。
 僕は想像するしかないけれど、状況が落ち着くまでまともに授業はできなかっただろう。
 珍しく真琴の口数が少ない。気丈に見えるものの、疲労しているようだ。
「ああ、そうだ。寄り道してもいいかな?」
 言われるがままに、僕と美鈴は真琴の後ろに黙ってついていった。
 駅へ向かい、電車に乗る。一駅。そこから歩いた先の、大きな一軒家の前で足を止めた。
 表札を見る。四谷の家だった。

  * * *

 インターホンを鳴らすと、家の中から出てきたのは先輩だった。
「こんにちは。蒼央君のお兄さんですね? ボク達、蒼央君の友達なのですが……お見舞いに伺いました」
 真琴が挨拶をする。思いっきり不機嫌そうな顔をされたけれど、招いてくれた。
 通された居間のソファに、三人並んで腰かけた。美鈴の髪が軽く僕の手に触れて、心臓がどくんと高鳴る。変な緊張感だ。
 先輩はテーブルを挟んだ向かいの椅子に座る。
「蒼央君の様子はどうですか?」
「……今はもう落ち着いてると思う。さっき、女の子が来たよ。梓川雪華って子。その子から話はあらかた聞いたけど……」
 よく見ると先輩は疲れている模様だった。
 もしかして蒼央を保健室にまで迎えに行って、そのまま早退したのかもしれない。その後梓川さんに会ったというなら、尚更だろう。
「蒼央のこと、どこまで知ってる?」
「どこまで、とは……」
「なんだ、全然知らねえの」
 さっきの子もそうだった、と先輩は言った。面倒くさそうに。
「……君は昨日蒼央と一緒だった子か。知ってるよ。はちみつっていうあだ名の可愛い子がいるって、去年からずっと言ってた。……君になら、話せそうだ」
 急に名指しされて、背筋が伸びる。僕だけに話せそうとはどういうことだろう。
「分かりました。ではボク達は……」
「蒼央の部屋に行けばいいよ。二階に上がって、ドアプレート見て。終わったら言うし」
「はい。……じゃあ、またね、はちみつ。行こう美鈴」
「うん」
 双子が立ち上がった。美鈴の香りが遠ざかるのを感じる。
 そして居間には僕と先輩だけが残った。学校で聞いた噂が脳裏を掠め、現実にはありえないと自分に言い聞かせるものの、妙に緊張してしまう。
「……昨日駅で別れた後さ、気づいたんだよ。つけられてるって」
「えっと……僕が見回してもそんな人は」
「毎日やられてるからわかる。違うクラスの女子なんだ。先週告白されて、断ったら逆恨み。ばっかみてえ」
 どうやら恨みでも買ったのではないかという真琴の予想は当たっていたらしい。先輩も慣れているような口調だった。
「で、何となくそいつが隠れてる場所もわかったから、見せつけるように蒼央とキスした。そしたら、このザマだよ。あいつに彼女がいるなんて、冗談だと思ってた……」
「お、男の人って……先輩だったんですか……」
 思わず口走ってしまった。まずいことを言ってしまったかもしれない。
 先輩はため息を吐く。
「……蒼央は、男しか好きにならない。ゲイなんだよ」
 ――え……?
 まさか、そんなことが。簡単に信じられるだろうか。
 四谷は確かに梓川さんと付き合っていたはずだ。二人はどの角度から見ても仲が良くて、毎日一緒に帰ったり、休日にはデートに行ったりしていたはずだ。真琴とは美鈴と梓川さんのどちらが可愛いか議論までして。
「……まあ、驚くのも無理ねえよな。昔話するから、聞いても聞かなくてもいい」
 声も出ない僕を見ながら、先輩は淡々と話した。
「小さい頃は、自分と恋人ごっこしてたんだ。……姉貴にそのことがバレて、一回大喧嘩して……『死ね』って言われて、あいつ、手首を切った」
「手首を……」
 今日の出来事と同じだった。ふと血の匂いを思い出して、気分が沈む。
 四谷はいつも左腕に包帯を巻いたり、リストバンドをつけたりしていた。プールは見学していた。
 そして今日――『死ね』と言われて。
 フラッシュバックが起こったということだろうか。普段口の悪い四谷から想像できない。地雷。トラウマ。
 彼はどうしてナイフなんて持ち歩いているのだろうと疑問が頭をよぎったけど、答えは簡単だ。いつも巻いている包帯。いつも巻いているということは、いつもしているということだ。
「それからはもう女子が怖かったんだと。小学校の時、好きな人ができたっていうから聞いてみたら男子だった。……でもあいつ彼女がいるって、去年から言ってた。自分はそんなの嘘だと思っていたんだ。……なあ、こんな話を聞いていて気分悪くねえか?」
「……いいえ、平気です」
 悪くないといえば少し嘘になる。だけど僕は平静を装った。
 このことを知っても、知ったことを知られても、四谷とは友達でいたかったからかもしれない。
「梓川って子、自分自身のこと責めてたから、フォローしてあげて。……自分も一応言ったんだけど、どうも蒼央とキスしちゃった当の本人だからさ……本当に、彼女には悪いことしたなって思うよ」
 ここを訪れた梓川さんも同じことを聞いて、涙を流して、ごめんなさいと謝り続けたそうだ。
「……髪、切ろうかな」
「……どうしてですか?」
「失恋」
「……」
 話が一段落ついたところで、先輩が双子を呼びに行く。

  * * *

 結果的に梓川さんと四谷は別れてしまった。
 クラスメートからは同情や憐れみの目が梓川さんに、何か危ないものを見る目が四谷に注がれる。
「結局、ここのお嬢様達はね、自分達の利益しか考えないの……」
「全くせっちゃんの言う通りだよ。ボクも人のこと言える自信はないが、それにしてもまあ酷い村八分っぷりだ。今となっては時代遅れだよ。四谷もせっちゃんも気にすることはないさ。キミの居場所はここにあるから」
「……あれ? ねぇ、二人は別れたんじゃなかったの?」
「あー? 恋人としては無理でも、友達としてはいけるんじゃねーの?」
「蒼央君、疑問形じゃないの! ……また、サイクリングに行きたいの。今度は、まこちゃんも美鈴ちゃんも、はちみつ君も一緒に」
 素直に頷いた。
 ギスギスしてしまうより、僕にとってはそうしてくれたほうがありがたい。僕も自分の利益しか考えないのは、同じだ。争い事は苦手だから。
 梓川さんと四谷が手を繋ぐことはもうないかもしれない。でも以前より親密そうに見えるのは、人に言えない真実がそこにあるからだろうか。

 彼らとずっと友達でいたい。一人ぼっちになりたくない。もっと勉強しようと思ったのはこの頃からだ。僕がテストで一位をとる限り、僕を頼ってくれるはずだった。
 勉強のストレスを癒してくれるのは、美鈴だった。だんだん心を開いてきてくれているように思える。
 ある英語の小テストの前には、教えてほしいところがあると、一人で僕のところに会いに来てくれた。
 五人で廻ったサイクリングも、さりげなく僕の隣を走ってくれた。
 そして、笑顔を見せてくれる回数もずっと増えた。
 彼女の口から初めて「おはよう」を聞いた時、僕の世界は薔薇色に輝く。
 その世界はまるで蜂蜜の瓶のように、僕を粘っこく絡めとって閉じ込める。
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