夏休みになってもクラブや夏期講習というのはあるもので。
有斗と京子は、時間が合う限り、できるだけ一緒に登下校するのだった。
今日も暑い、だとかそんな他愛もない会話が、彼らの日常を太陽よりも輝かせる。
「私、アイスバー？ というものを、食べた事が無いかもしれません」
「さすが先輩。お嬢様ですね……」
「ソフトクリームならあるのだけど……。あ、有斗君のお薦めは何ですか？」
「え、オレですか？」
じっくり有斗が悩む。
そんな様子を、京子は微笑ましく見つめていた。
「あ、えっと、じゃあソーダ味で」
「ソーダ味。美味しそうね、是非食べてみたいわ」
「今からでもコンビニに行けばいいじゃないですか……」
「……私は……その……有斗君と、食べたいのです。あとそれと、以前聞いた弟さんにもお会いしたいな、って……」
「……え？」
＊ ＊ ＊
毎週日曜日に、陸は光村家に遊びに行く。
親友である有斗と、その弟、風斗と遊ぶためだ。
「有斗ー！ 風斗ー！ こーんにーちはー！」
「にーちゃん！ 陸にーちゃん来たよ！」
「あーはいはい、いらっしゃい」
いい加減お前はピンポンぐらい鳴らせ、とぶつぶつ呟きながら、有斗は扉を開けた。その隙間をくぐり抜けて、風斗が駆け出す。
「おおう、よしよし。風斗大きくなったなあ」
「だってオイラ、もう小学生だ！ 一年生だぜ！」
「……陸、それ先週も言ってなかったか？」
「気のせいじゃね？」
「気のせいだもん！」
「ハモるな」
陸が風斗を抱きあげ「たかいたかい」とすると、風斗は嬉しそうに笑った。
そんな二人の後ろから、有斗がコホンと咳払い。
「諸君。ここで重大発表があります」
「なんでしょう、有斗君」
「なんでしょー、にーちゃん」
「……。来週の日曜日、春田先輩が家に来ます！」
有斗の恋人 春田京子。小顔で色白、すらりと長身で、人柄も穏やか。非の打ち所がなく、校内一の美人と噂されていた。
この夏休み前に付き合い始めたばかりである。
「とにかく、来週は、陸には悪いんだけどさ……」
「来るな、ってか？」
「極論を言えば、そうなる」
やたら真面目そうな顔をして、何を言い出すかと思えば。
家デート、らしい。
確かに邪魔するのも悪いしなあ、と陸が了承し掛けた途端、風斗の顔が曇った。
「……えー……。陸にーちゃん、来ないの？ ……えぐっ、うっ」
「うん……ごめんな、風斗。よしよし、いい子いい子」
「じゃあ、じゃあね、オイラが陸にーちゃんの家に行く……」
「オレん家病院だからあんまり遊べないぞ？ どうせだったら公園で……」
「いいよ陸。もう来いよ！ 風斗もそれでいいだろ、泣くなよ！」
有斗のお願いぐらいなら、陸はきく準備はできていたものの、風斗が頬を膨らませるとなると話は別だった。
幼い頃から光村家に遊びに通っていた陸にとって風斗は弟も同然。可愛くて仕方がない。
「ほんっと仲良いよな……。兄ちゃんはもう疲れたよ」
「お疲れ有斗ー」
はぁ、と溜息を吐く有斗をよそに、二人は会話を続ける。
「じゃ風斗、今日はなにして遊ぶ？ 有斗兄ちゃんは疲れちゃったんだってさ」
「えーとねぇ。あっ、この前のバドミントン！」
「よし、やるか！」
「……それ来週にならないのか？」
有斗の不安は募るばかりだった。
＊ ＊ ＊
そして。その日曜日は、よく晴れた。
陸が来たのと入れ替わるようにして、有斗は京子を迎えに家を出て行く。心なし足取りが軽やかである。
「……にーちゃんうれしそうだなぁ」
「そりゃあいつだって男さ」
「ふーん」
それから陸たちは、しばらくバドミントンをしていた。
風斗の通う小学校では、今、上級生を中心にして、ブームが巻き起こっているらしい。
昼休みは中庭が生徒達と羽だらけになるというぐらいだから、相当のものだろう。
夏休み明けには、児童会主催でバドミントン大会なるものがあるそうで、風斗は張り切っていた。
「ペアの人はね、六年生で、円玲っていうんだ」
「……マジで？」
「陸にーちゃんの知ってる人？」
「うん、最近会ってないけどな……あいつバドミントンなんてやってたのか」
「すっごくうまいぜ！ 天才」
目をキラキラさせた風斗が言うことは、誇大表現なのかどうなのか、その時の陸には判別が付かなかったが。
「だから、ぜったいイチバンになりたいんだ！」
「おうおう。風斗ならなれるぜ」
「ほんと？」
シャトルはくるくると空を舞った。
風斗が打ち返し損ねて、地面にワンバウンドして転がる。
「……よし、風斗。そろそろ休憩するか？」
「ぷくー」
「膨れんなよ。そうだ、十時のおやつにしよう」
「おやつ！」
陸のたった一言で、風斗の顔はぱっと輝いた。
家の中に戻り、石鹸で手を洗う。うがいも忘れない。
そして冷蔵庫の中を漁り始めた。
「風斗。お父さんとお母さんはなにか用意してくれてたか？」
「知らなーい」
「そっか。……あ、フリーザーにアイス入ってる」
「オイラそれがいい！」
「はいはい」
どうぞ、と陸はソーダ味のアイスバーを風斗にさしだした。そして自分は抹茶味を取り出す。
アイスバーは今のところ、その二つしかないようだった。
「陸にーちゃん、甘いの苦手なんじゃないの？」
「抹茶はいいんだよ抹茶は」
席に着いてから、いただきます、と二人は声を揃えた。
風斗は行儀がいいよなあ、と陸はいつも思う。
「……有斗遅い」
「うん」
「やっぱりこのアイス甘い」
「オイラにちょうだい！」
「風斗にはソーダのがあるだろ。駄目。これはオレのもん」
「ケチー」
ちょうど風斗が食べ終わった時、門がきぃ、と軋む音がした。話し声もする。有斗が帰ってきた。
二人はそそくさと二階にある風斗の部屋へ移動する。
京子が来ている間はそうしてほしいというのが有斗の頼みだったからだ。
陸と風斗が部屋に入って扉を閉める。
と、階下が何やら騒がしい。
二人は顔を見合わせたが、『デート』という慣れないことで有斗が相当焦っているだけ、という予想に終わった。
「……あっ」
「どうした？ 風斗」
「さっきのアイス……昨日にーちゃんが買ってきてたやつだ」
「お前……それを先に言えー！」
陸が叫ぶとほぼ同時に、階段を勢いよく駆け上る足音。間違いなく有斗のものだろう。
きっとあのアイスは、今日のために、有斗が買ってきたもの。
「やべっ。風斗、布団被れ。有斗が来る！」
「うん！」
二人はベッドに飛び込んで、布団を被った。
陸が人差し指を口に当てる。
「風斗！ 陸！ お前らフリーザーにあったアイス食っただろ！」
ばたん、と派手に有斗は扉を開けた。
部屋の中は、何事もなかったかのように静まり返っている。
それでも、布団がこんもりと盛り上がっているのは、見てすぐに確認できた。
「たぬき寝入りもいい加減に！」
しろ！
布団はあっさりと有斗の手によって引き剥がされた。
陸と風斗はわあわあと喚くが、やがて、腕を組んで立っている有斗の前にひれ伏すこととなる。
＊ ＊ ＊
「残念だわ、有斗君の弟さんに会えなくて」
「会う価値もないような奴らですよ」
ちなみに奴らというのは陸も含まれていますから、と有斗は付け加える。
あくまでも有斗にとって弟は一人だ。
京子は楽しそうに、口元に手を当てて笑った。
「またそんなこと言って。本当は大好きなんでしょう？」
「いや全く」
有斗が首を振る、そんな様子も京子には違う風に見えるらしい。
「あ、ソーダ味のアイスはありましたか？」
「残念なことに、既に弟の腹の中でした」
「まぁ」
じゃあまた今度の機会に。
実は陸と風斗が壁に耳つけて盗み聞きしていることなどつゆ知らず、恋人たちはそっと約束を交わした。
有斗と京子は、時間が合う限り、できるだけ一緒に登下校するのだった。
今日も暑い、だとかそんな他愛もない会話が、彼らの日常を太陽よりも輝かせる。
「私、アイスバー？ というものを、食べた事が無いかもしれません」
「さすが先輩。お嬢様ですね……」
「ソフトクリームならあるのだけど……。あ、有斗君のお薦めは何ですか？」
「え、オレですか？」
じっくり有斗が悩む。
そんな様子を、京子は微笑ましく見つめていた。
「あ、えっと、じゃあソーダ味で」
「ソーダ味。美味しそうね、是非食べてみたいわ」
「今からでもコンビニに行けばいいじゃないですか……」
「……私は……その……有斗君と、食べたいのです。あとそれと、以前聞いた弟さんにもお会いしたいな、って……」
「……え？」
＊ ＊ ＊
毎週日曜日に、陸は光村家に遊びに行く。
親友である有斗と、その弟、風斗と遊ぶためだ。
「有斗ー！ 風斗ー！ こーんにーちはー！」
「にーちゃん！ 陸にーちゃん来たよ！」
「あーはいはい、いらっしゃい」
いい加減お前はピンポンぐらい鳴らせ、とぶつぶつ呟きながら、有斗は扉を開けた。その隙間をくぐり抜けて、風斗が駆け出す。
「おおう、よしよし。風斗大きくなったなあ」
「だってオイラ、もう小学生だ！ 一年生だぜ！」
「……陸、それ先週も言ってなかったか？」
「気のせいじゃね？」
「気のせいだもん！」
「ハモるな」
陸が風斗を抱きあげ「たかいたかい」とすると、風斗は嬉しそうに笑った。
そんな二人の後ろから、有斗がコホンと咳払い。
「諸君。ここで重大発表があります」
「なんでしょう、有斗君」
「なんでしょー、にーちゃん」
「……。来週の日曜日、春田先輩が家に来ます！」
有斗の恋人 春田京子。小顔で色白、すらりと長身で、人柄も穏やか。非の打ち所がなく、校内一の美人と噂されていた。
この夏休み前に付き合い始めたばかりである。
「とにかく、来週は、陸には悪いんだけどさ……」
「来るな、ってか？」
「極論を言えば、そうなる」
やたら真面目そうな顔をして、何を言い出すかと思えば。
家デート、らしい。
確かに邪魔するのも悪いしなあ、と陸が了承し掛けた途端、風斗の顔が曇った。
「……えー……。陸にーちゃん、来ないの？ ……えぐっ、うっ」
「うん……ごめんな、風斗。よしよし、いい子いい子」
「じゃあ、じゃあね、オイラが陸にーちゃんの家に行く……」
「オレん家病院だからあんまり遊べないぞ？ どうせだったら公園で……」
「いいよ陸。もう来いよ！ 風斗もそれでいいだろ、泣くなよ！」
有斗のお願いぐらいなら、陸はきく準備はできていたものの、風斗が頬を膨らませるとなると話は別だった。
幼い頃から光村家に遊びに通っていた陸にとって風斗は弟も同然。可愛くて仕方がない。
「ほんっと仲良いよな……。兄ちゃんはもう疲れたよ」
「お疲れ有斗ー」
はぁ、と溜息を吐く有斗をよそに、二人は会話を続ける。
「じゃ風斗、今日はなにして遊ぶ？ 有斗兄ちゃんは疲れちゃったんだってさ」
「えーとねぇ。あっ、この前のバドミントン！」
「よし、やるか！」
「……それ来週にならないのか？」
有斗の不安は募るばかりだった。
＊ ＊ ＊
そして。その日曜日は、よく晴れた。
陸が来たのと入れ替わるようにして、有斗は京子を迎えに家を出て行く。心なし足取りが軽やかである。
「……にーちゃんうれしそうだなぁ」
「そりゃあいつだって男さ」
「ふーん」
それから陸たちは、しばらくバドミントンをしていた。
風斗の通う小学校では、今、上級生を中心にして、ブームが巻き起こっているらしい。
昼休みは中庭が生徒達と羽だらけになるというぐらいだから、相当のものだろう。
夏休み明けには、児童会主催でバドミントン大会なるものがあるそうで、風斗は張り切っていた。
「ペアの人はね、六年生で、円玲っていうんだ」
「……マジで？」
「陸にーちゃんの知ってる人？」
「うん、最近会ってないけどな……あいつバドミントンなんてやってたのか」
「すっごくうまいぜ！ 天才」
目をキラキラさせた風斗が言うことは、誇大表現なのかどうなのか、その時の陸には判別が付かなかったが。
「だから、ぜったいイチバンになりたいんだ！」
「おうおう。風斗ならなれるぜ」
「ほんと？」
シャトルはくるくると空を舞った。
風斗が打ち返し損ねて、地面にワンバウンドして転がる。
「……よし、風斗。そろそろ休憩するか？」
「ぷくー」
「膨れんなよ。そうだ、十時のおやつにしよう」
「おやつ！」
陸のたった一言で、風斗の顔はぱっと輝いた。
家の中に戻り、石鹸で手を洗う。うがいも忘れない。
そして冷蔵庫の中を漁り始めた。
「風斗。お父さんとお母さんはなにか用意してくれてたか？」
「知らなーい」
「そっか。……あ、フリーザーにアイス入ってる」
「オイラそれがいい！」
「はいはい」
どうぞ、と陸はソーダ味のアイスバーを風斗にさしだした。そして自分は抹茶味を取り出す。
アイスバーは今のところ、その二つしかないようだった。
「陸にーちゃん、甘いの苦手なんじゃないの？」
「抹茶はいいんだよ抹茶は」
席に着いてから、いただきます、と二人は声を揃えた。
風斗は行儀がいいよなあ、と陸はいつも思う。
「……有斗遅い」
「うん」
「やっぱりこのアイス甘い」
「オイラにちょうだい！」
「風斗にはソーダのがあるだろ。駄目。これはオレのもん」
「ケチー」
ちょうど風斗が食べ終わった時、門がきぃ、と軋む音がした。話し声もする。有斗が帰ってきた。
二人はそそくさと二階にある風斗の部屋へ移動する。
京子が来ている間はそうしてほしいというのが有斗の頼みだったからだ。
陸と風斗が部屋に入って扉を閉める。
と、階下が何やら騒がしい。
二人は顔を見合わせたが、『デート』という慣れないことで有斗が相当焦っているだけ、という予想に終わった。
「……あっ」
「どうした？ 風斗」
「さっきのアイス……昨日にーちゃんが買ってきてたやつだ」
「お前……それを先に言えー！」
陸が叫ぶとほぼ同時に、階段を勢いよく駆け上る足音。間違いなく有斗のものだろう。
きっとあのアイスは、今日のために、有斗が買ってきたもの。
「やべっ。風斗、布団被れ。有斗が来る！」
「うん！」
二人はベッドに飛び込んで、布団を被った。
陸が人差し指を口に当てる。
「風斗！ 陸！ お前らフリーザーにあったアイス食っただろ！」
ばたん、と派手に有斗は扉を開けた。
部屋の中は、何事もなかったかのように静まり返っている。
それでも、布団がこんもりと盛り上がっているのは、見てすぐに確認できた。
「たぬき寝入りもいい加減に！」
しろ！
布団はあっさりと有斗の手によって引き剥がされた。
陸と風斗はわあわあと喚くが、やがて、腕を組んで立っている有斗の前にひれ伏すこととなる。
＊ ＊ ＊
「残念だわ、有斗君の弟さんに会えなくて」
「会う価値もないような奴らですよ」
ちなみに奴らというのは陸も含まれていますから、と有斗は付け加える。
あくまでも有斗にとって弟は一人だ。
京子は楽しそうに、口元に手を当てて笑った。
「またそんなこと言って。本当は大好きなんでしょう？」
「いや全く」
有斗が首を振る、そんな様子も京子には違う風に見えるらしい。
「あ、ソーダ味のアイスはありましたか？」
「残念なことに、既に弟の腹の中でした」
「まぁ」
じゃあまた今度の機会に。
実は陸と風斗が壁に耳つけて盗み聞きしていることなどつゆ知らず、恋人たちはそっと約束を交わした。
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